じゃあ、この花は今おばあちゃんってこと?
先日、一輪の薔薇をいただいた。
持って帰ると息子が自分が「育てる」と。
「切り花を育てる」という表現になんとも心地よい違和感を覚え。
実はこれまで、家に飾ってきた切り花は、枯れるところを息子に見せたいと、朽ち始めても水を変え育ててきた。美しいうちだけ飾る、というのは、、、なんだかちょっと腑に落ちなくて。
我が家は都会のマンション暮らし。日々の中で命に触れることがどうしても少ない。命はいつか朽ち果てるということを、切り花にも感じさせてもらおうという思いもあった。
朽ちるまで育てようと決めてからは、どんな風に枯れていくのか、色や形を変えていくのかを観察するのが息子との日課に。
「茶色くなってきたね」
「カサカサしてきたね」
「花びら落ちちゃったね」
と、息子と言葉を交わしてきた。
先日いただいた一輪の薔薇も、花びらの端から縮れ、皺が増え、茶色くしみてきた。
すると、それを見た息子が
「じゃあ、このお花は今おばあちゃんってこと?」
と言葉にしたのです。
去年の終わりに、おばあちゃんが亡くなった。息子にとってのひいおばあちゃん。96歳でした。息子は「おばあちゃん」と呼んでいました。数ヶ月前まで元気だったおばあちゃんが、あっという間に寝たきりになり、数日後には動かなくなり、冷たくなり、焼かれて骨になるという姿を見るということを、とても短い期間で体験した息子。朽ちていく薔薇を見て、おばあちゃんを思い出したのでしょうか。
「そうだねえ」
とだけ返した私。それ以上言葉にできない気持ちが心の中に生まれました。息子の中にもきっと私と同じような気持ちが生まれたのかなぁ。どうかなぁ。その気持ちは息子だけの気持ち。彼の中に残っていくのか、残っていかないのか。
今日も、息子と朽ちていく薔薇の水を変える。昨日よりもまた少し朽ちている。
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