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まさか!あの頃読んだ絵本がこんなにも!?

何十年かぶりに読んだ「おしいれのぼうけん」に驚愕。ねずみばあさんが怖いだけだと思ってたこの本、怖さは他にありました。子供を支配しようとする大人たちや傍観するだけの子供たちがとにかく怖っ。昭和49年初版の絵本、私はこれに疑問を持たず育ってきた世代だと改めて感じました。違う読み方がされる時代がきて良かった。


子供を押し入れにいれる、、って、、ないよなぁ、と思いながら、思い出したのは、そういえば、私、子供の頃、時々押し入れに入れられてたなってこと。まぁ、でも、父の名誉のためにいうと、それが悪じゃなかった時代なのですよ、私が子供だった頃は。この本が生まれた頃は。


この本が生まれた頃は、世の中に出ると、恐怖で支配されることが多かった。反社的存在も普通に存在したし。恐怖で支配されることに子供の頃から慣れておかなきゃならないという子育ては自然発生的なものだったんじゃないかな。社会の構造が恐怖で支配する子育てをありにしていたんだと思うなあ。


それが、いまや、恐怖が激減し、安全が確保されやすい時代になりました。


ただ、どんなに時代は変わっても、この本のアキラとサトシみたいに、本当にイヤなことにはちゃんと「NO!」を態度で示せる自分でいたいなあと思ってはいるのです。

恐怖で支配されるのは「イヤ!」暴力は「イヤ!」と表現してきた人たちが、かつての社会を変えて今の安全を作ってきました。そして、これからは傍観するだけでなく、ちゃんと「NO!」と表現できるようになりたいなぁとも、思うのです。アキラとサトシは、ちゃんと恐怖に打ち勝ち「イヤ!」と抗うことで、先生も友達もさくら保育園をも変えることになったのですから。

そして、今の時代は、なぜ「NO!」なのか、なぜ「イヤ!」なのかというお互いの理由を、対話して理解していこうという時代。議論ではなく対話の時代。どっちが正しいかなんて、答え出るはずないもんね。いい時代になったもんだ。時代の良いところを取り入れていきたいものですね。

と書きながら、4歳の息子の「イヤ!」と母である私の「NO!」が平行線過ぎて困ることはしょっちゅう。晩御飯にチョコパン食べたい、それは、母にとってはもちろん「NO!」。でも息子にとっては野菜炒めが「イヤ!」だったりして。ふう、悩みは尽きません。野菜のチョコ炒めなら食べるんかな?




あ、ところで、話変わりますが、

私、先日、財布を無くしました。その10日後には鍵を落としました。途方に暮れそうになったのですが、、、財布にも鍵も、GPSによるトラッキングシステムを導入していたことで、スマホから位置確認。財布はレストランのトイレにあり、鍵はGPSがこの辺にあるよと教えてくれる辺りをウロウロしてたら近くの工事現場のおじさまが拾ってくれており、どちらも、無事に戻ってきました。

昔から変わることなく、忘れものや失くしものがとにかく多い私。デジタル技術を取り入れて変化をすることで、安心を手に入れております。

落とし物を減らせばよい、失くしものを無くせばよいのでしょうが、それがなかなか努力してもできなかったりする。そういう点では、自分はもしかしたら生きづらい人間なのかもしれません。でも、デジタル技術はこんな風に私をサポートしてくれる。


いやはや。いい時代になったもんだ。時代の良いところを取り入れていきたいものですね。


(あーぁ、、、また財布無くした。その10日後には鍵まで。。一体何回目よ、ワタシ。。ちなみに2月前にはスマホを落としてまして。交番まで届けてくれた方、どこの誰かはわからないけれど、今も感謝でいっぱいです。)


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