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非常に残念ながら5歳を前に息子がひらがなを覚えてしまった

何かを言葉で表現しようとして、百点を取れたと感じたことはない。どんなに言葉を並べても、気持ちと完全にフィットすることはない。時には気持ちよりも大袈裟な言葉になってしまったりもする。

ラジオで話すのを生業にしている私は、長いことそのギャップに苦しめられているから、息子には、なるべく長い時間を文字のない自由な世界で遊んで欲しいと願ってきたのだけれど、子どもの吸収力というのは、驚くほど早く、5歳を前に、最近とうとう彼はひらがなを読めるようになってしまった。

これまで何度かひらがなを覚えたがったことがあったのだけれど、少しでも先延ばしにしたかった私は、その度はぐらかしてきたのですよね。でも、ひらがなは日々の中に溢れていて、ひらがなに興味津々の彼に「これはなんて読むの?」と聞かれたその問いに答え続けていたら、なんとも残念なことに、彼はひらがなを覚えてしまった。

文字に縛られずに済むのは、産まれてから数年だけ。文字を覚える前に、いろんなものに触れて色や香りや熱や光や風や自然のいろいろ、そして心のいろいろをもっともっとただただ感じでもらいたかったのだよな。


ああ。

彼はもう、文字のない世界にはもどれない。もう少し、はぐらかしておけばよかったかなあ。でも、覚えたい読みたい、その情熱は抑えつけられない。情熱を持った子どもの吸収力は、砂漠が水を吸収するかのごとく。

さて。


これは、文字のない世界で生きる感覚を知ってみたい母のわがまま。文字から自由になりたい母の身勝手。


もちろん、文字が広げてくれる世界があることは知ってるつもりですが。




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