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どうしようもなくて #3

希死念慮は、交際していた彼女と別れた昨年の3月から、たびたび心に現れるようになっていた。孤独になって、頭がおかしくなったのかもしれない。でも、人はずっと孤独なのにね。
彼女はわたしの気持ちをちっとも理解しなかったし、わたしも彼女の気持ちを理解しようとしなかった。そんな、身体が触れ合うだけの関係性を幸福と呼べるくらいに馬鹿だったら、きっとしあわせになれたでしょう。

つまり、わたしは本質的に孤独であって、一般的に見て気が狂うのも必然だったということ。

だって、根本的な思想に死がこびり付いているのだもの。老いは死だし、わたしたちは死ぬことでしか救われないから、自死は美しい。いちばん美しいまま死ねるなんて、いちばん綺麗なハッピーエンドだと思う。自殺を止めて表彰されているニュースを見るたびに吐き気がする。無責任に人の命を胴上げするような大人にはなりたくなかった。

実は鬱病と診断を受けたとき、少し嬉しかった。ずっとふつうの人生を歩んできたから、特別になりたかった。病弱で学校を休みがちなあの子のことが好きだった。
ほんとうは「特別」じゃなくて「異常」だったんだ、って知るのにはあまり時間がかからなかったよ。だって現実は、生きるだけで精いっぱいなんだもの。たすけてくれる人もいないし。


子どものころは、誰より輝けると思っていました。幼稚園の卒園アルバムに書いてある将来の夢はアイドルでした。小学生のときは、ロックバンドとか、実況者とか、小説家とか、野球選手とか、いろんな夢に希望をもっていました。
中学生、高校生になって、星の光がどんどん輝きを失っていきました。大人になって、夜空を見ることが増えました。

夜空は怖いから目を背けてもいいけど、夜空に向き合ってる人はきっと強くなれるんじゃないか、って思います。

2022.11.14

夢見る少女じゃいられなくなって、嫌でも現実を見せられたことは、なりたい自分になるためには通らなきゃいけない道だった。

それまでもきっと、自分の理想像はあったのだろうけど、わたしはあまりにも現実を見ていなかった。ずっと楽な方の道を選んで生きてきたから、自分の目的を達成するために努力する、という経験をしたことがなかった。

「鬱病」という名前をもって地の底に落とされたことで、ようやくわたしは自分の足で、わたしの意思で、山を登ることをはじめました。


わたしは美しい言葉を紡ぎたい、とおもった。いつから、どうして、明瞭には覚えていない。けれど、漠然とそうおもったことだけはたしか。

そのためには、かしこくならなくちゃいけない。
本を読んで、世界の視野を広げた。鬱病になってから記憶力がわるくなったから、忘れないように感想を書いた。1年半ペンを握らないと漢字は忘れてしまうもので、漢検二級を取った。大したものではないけれど、自分の中に一生この資格が残り続けることがうれしかった。知らない言葉をいっぱい調べて、語彙を増やした。

勉強を続けるうちに、日本語が好きになった。
日本語の持つ奥ゆかしさや言葉の響き、書き手によって変化する属性、漢字に込められた機微。
わたしのおもうより日本語の中にはおおきな世界が広がっていたから、日々の生活で言葉を選び、ノートに綴ることが楽しくなった。言葉の糸を紡ぎ続けて、いつの日かわたしを形作る一枚の布にしたい。

知らない世界を見るために、芸術に触れるようになった。美術館で絵画を眺めたり、ライブハウスで音楽に揺られたりすると、表面上では伝わらない多くの情報が込められていたことに気付く。その情報を、わたしは言葉という形で昇華した。
この一年でわたしの世界は広がって、たくさんの「すき」をお守り袋の中にしまった。

いままではファッションや美容にはからっきしだったけれど、ある運命的な出会いに、男の子でもかわいくなっていいことを教えてもらった。それから、男性と名乗ることをやめたら、性に囚われることがなくなって、すこしだけ生きるのが楽になった。ただ、わたしの「かわいい」を極めるだけの人間。
まだまだ完璧じゃないけれど、ずっと嫌いだった自分の顔を愛せるようになった。

好きなものを、ゆっくりと。自己形成が寛解につながるって、そう信じている。

『あなたは将来、何になりたいの?』

いまなら、答えられる。


『言葉よどうか いつもそばにあり
これからの奇跡に全部形を与えてください
そうしてきみは小さな幸せ
宝箱いっぱいに集めて世界を愛してください』

羊文学 - マヨイガ

読んでくれてありがとうございました。
もうすこしだけつづきます。わたしが学んでいる学問のはなし。

またね。

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