どうしようもなくて #4
時は遡って2022年10月、大学2年生の後期のこと、来年次配属されるゼミの選考が始まろうとしていたときのおはなし。
わたしの通う大学の学部は、最近流行りだした文理融合の学部である。もともとは社会学的な学問を取り扱う文系の学部だったが、ちょうどわたしが入学する年に学部改組が行われ、理工学部の情報系の学部が吸収される形で再編された。
当のわたしは工学部特有の地方への隔離が無い、ということを目当てにその学部へ入学し、1年次後期の文理コース選択でも理系のコースを選んだのだった。
産まれてこのかた数学だけは自信があったわたし、その自信は1年前期に必修科目として開講された微積・線形代数で一蹴されることになる。
意味がわからなかった。何をしているかさえ理解できず、その中で勉強する意義を見出すことは不可能だった。もちろん、後期に選択必修としてつづく数学は受講しなかったし、極力大学数学から避けるように単位を取得した。
肝心のプログラミングはどうだろう。主にC言語を学んだが、意味の無い文字列にしか感じられなかった。アセンブリ言語で授業をする教授は切り離し、様々な本を読んで勉強したけれど、結局手応えはなかった。それどころか、友人のコードをコピペして課題を提出していたため、友人と共々落単することになった。
大学ってこんなにつまんないんだ、っておもったよ。友人もカンペを写し合うだけの軽薄な関係で、一緒にいたところで価値観が合わなくてちっともおもしろくない。次第に、集団から離れてひとりの、インターネットの世界で日々の生活を送るようになっていた、5年前とおなじように。そのほうが楽しいから。
話は戻ってゼミ配属、高校のときから目をつけていたVRを取り扱う研究室は、1年後期の数学が必修だった。その情報は2年生になって初めて知る話だったから、夢をひとつ奪われた気持ちになった。
ほかのアセンブリ言語で話す理系の研究室に入る気にはなれなくて、理系で唯一、授業で日本語を話していた記憶のある教授の研究室に入ることにした。
消去法でえらんだこのゼミが、わたしの運命を変えることになるとは露知らず。
ゼミ配属と並行するように過ぎてゆく2年後期、鬱病になったわたしは少しでも教養を身につけたくて、以前よりもしっかりと授業を受けるようになった。しっかりと受けてもプログラミングや論理学のことはちっともわからなかったけれど、楽単として受講していた倫理学や社会学が意外とおもしろかった。
ゼミの教授の専門分野はUI。その中でも”Human Computer Interaction”といって、直訳すると人間とコンピュータの相互作用のことを研究している。
小学校にタブレットが導入されたり、人間側がコンピュータに合わせることを求められる時代だけれど、生きてきた年数は人間の方が圧倒的。
だから、人はそんな簡単には変われなくて、むしろコンピュータの側が合わせるべき。教授は、どのように人間に適合するUIをつくるのか、という研究をしている。
わたしがこれから生きる上で、人間に寄り添いたいのか、コンピュータに(より人間に)寄り添いたいのか、そう考えたとき、わたしの答えは前者だった。
それは同時に、漠然とした、けれど確かな夢をもった瞬間だった。鬱病というフィルムを通して、わたしという「人間」をたくさん考えた、考えざるをえなかったわたしは、将来、もっと人間と関わりたいとおもった。
幸いなことに、理系に分類されるわたしのゼミは文理を問わずに人を選んでいた。そして、文系と理系で4つに別れるコースは、卒業要件さえ満たしていれば書類の手続きと形式上の面談のみで変更することができた。
だから、文転することを決めた大学3年生、2023年の春。
「いつでも文転できるよ」と唆されて理系を選んだひとはいるだろうけど、大学3年生になってまで文転ができたわたしは幸福だとおもう。それって大抵、理系に奨めたいひとの後付けの理由でしかないもの。
もし、他の情報系の大学へ進んでいたら。アセンブリ言語に殺されて路頭に迷っていたかもしれない。それとも、逃げることのできない状況に適応しうまくやっていたかもしれない。
もし、私立の文系の学部へ進んでいたら。それが一番の近道であったかもしれないけれど、プログラミングに対する悔いは残っていたかもしれない。いまも心理学を学びたかったという悔いは残っているけれど。
それでも、いまのわたしがあるのはこの大学に来たおかげであって、いろんな人やその思考と出会えて、いまはそれがよかったんだ、とおもえる。
『間違いを犯すことが、間違いでない場合もあるということ』。
踏み外した道は、正解だったこと。
分かれ道を間違えつづけても、最後にゴールにたどり着けたらそれでいいんだよ。
そうしてわたしは、倫理学、言語学や芸術論、そして必修になった第二外国語を学んでいる。どれも楽しくて、わたしの身についていく感覚があって、この道を選んでよかったんだ、とおもえている。
ゼミは学部でも指折りのブラックゼミで、ここまでの8ヶ月で10冊の本を読まされた。毎月発表があって、UIには別にそんなに興味がないし、うまくできないわたしは怒られて、さらに心が磨り減ったような気がする。
特段UIに興味のないわたしがこのゼミを選んだことには、もうひとつの理由がある。
それは、ゼミの有志で紙の本を出版する活動を行っている、ということ。背景にはいろいろあるようだけれど、執筆から出版まで自分たちの手で実際に携われることは実に貴重な機会だし、なにより、わたしの言葉を紙にして遺せることに期待を抱いた。
実際には、本をつくるということはむずかしくって、去年の5月から始まったのに物語のプロットすら決まっていない。来年の9月に完成させる予定だから折り返し地点はとっくに過ぎているけれど、どうなるのかな。
ゼミと本をつくる活動でわたしの病状はどんどん悪くなる一方なのに、夏にまたアクシデントが起こった。教授のコネでゼミと市内の書店でイベントを行うことが決まったのだ。「紙の本にはひとを繋ぐ力がある」、とかそんな論調。
結局なし崩し的にわたしがリーダーを務めることになり、POPを手作りしておすすめの本を紹介するイベントを行った。県内の新聞社の取材を受けたり、ラジオに出たり、おもしろい経験はしたけれど、それとおなじくらいに大変だった。
11月の終わりまで、授業を受けては取材を受け、学校と書店の往復の日々が続いた。
このイベントを行ってはじめて、「鬱病のままでは、好きなことに対しても本気で取り組めない」ことを知った。実際、イベント自体にはほんとうに興味があったのに、高いクオリティのイベントを行うことはできなかったのだ。
取材を受けて、さも好評だったかのように記したけれど、取材がきたのは書店の社長にコネがあっただけであって、実際にはさっぱり売れなかった。
ちょうどその時期に救急車で運ばれる大事故や、おもいだすだけで苦しくなる同居人との別居事件など、いろいろあったのだけれど、それはまたいつか。
すべてが落ち着いた12月、わたしの心も波とおなじように落ち着いて、ようやく療養を行うことを決めた、といっても学校もばいとも休めないのだけれど。心を休めるために、ゆっくり、平穏な生活をするための準備をしている。このnoteを書いている理由だってそう。今のわたしをちゃんと言葉に遺しておいて、わたしが変わることを恐れないために。
どうしようもない人生だけれど、たしかな何かを愛せたら。それに少しでも近づくことができたら、それは紛れもないわたしだと、そうおもうんだ。
2024年の目標はふたつ。なりたい自分に近づくこと、鬱病を治すこと。
就職や卒論は、病気が落ち着いてからにしようかな、とおもっています。焦らずに、ゆっくり自分のペースでだいじょうぶ。
どうしようもなくて/ikill
連載はこれでおわりです。いつか恋愛のはなしをnoteに書くかもしれないけれど。
ここまで読んでくれたあなたのおかげで、わたしは息ができています。
これからの未来も見守ってくれるひとはついったサブ垢のふぉろーよろしくねっ
またね。
2023.1.4
あず
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