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デザイナーが世界に融ける存在になるには

先日DMM本社で行われた「Creative X #1 ー今あるデザイナの危機に立ち向かう知識」というイベントに行ってきました。その中で特に株式会社メルカリの鈴木さんの『デザイナーが海外で戦う、とは』というセッションが興味深かったので自分なりの考え方も交えながらまとめていきます。


セッション概要

メルカリというプロダクトを例として日本、アメリカ、イギリスそれぞれの働く環境でのコミュニケーション違いや文化圏ごとのUIデザインの差異をお話いただきました。


デザイナーとしての役割

デザイナーの役割は「何か世の中にある問題を解決すること」。
そのためにはデザインの力だけでは足りないのでデザイナーの仕事自体の幅が広くなります。狭義のデザインの領域を超えて、他分野の知識も掛け合わせる必要がある。この話は後半のセッション「デザイナーとして幅を広げていくために」につながります。


海外での働き方

海外、特にアメリカでは成果主義の意識が強く、プロダクトファーストでのものづくりが徹底されているようです。プロダクトをつくる上では職位といった組織のなかでの立場にとらわれないチームプレーが特徴です。良いプロダクトを作るという結果に必要なことであれば、部下が上司にロゴのデザインを依頼するなんてこともあるそうです。

また、ナレッジシェアがチーム内で徹底されていることも、保身的日本の組織との違いを感じる部分のようです。ロゴを頼まれた上司はそのプロセスを実際に見せることで、意識せずともスキルトランスファーしているような、そんな風土は日本の組織でも参考にすべきところだなと感じます。

少し民族的な違いを考えると、「職人」気質の強い日本では、技は盗むもの、個人の中に蓄積していくものという意識が強いです。映画の作り方一つ取ったってそうです。日本の映画制作というのは宮﨑駿氏や押井守氏など天才的な監督の世界観を、監督のディレクションのなかで作品に落とし込んでいくというスタイル。一方でピクサーに代表される欧米流の映画制作というのは、ディスカッションのなかでプロットやキャラクターなどを提起していくチームプレーの手法。こうしたものづくりに対する根本的な考え方の違いが、ナレッジのシェアを良しとする文化の違いに現れていると感じました。

ディスカッションを元に作品を作り上げるという制作のスタイルの中では、自分の意見を持つということが強く求められます。教育のスタイルにも違いが出ていると言われますが、すでにある答えに対して、制約条件のなかでそれにたどり着くことが日本的。対して、幼少期からディスカッション教育を徹底されている欧米では、日本人から見ればときに喧嘩とも思えるような議論が繰り広げられています。
プロフェッショナルとして仕事をする上でディスカッションの能力も求められるということです。つねに、ロジカルシンキングを意識し、主張とその根拠、具体的なデータを示すトレーニングをしておくことも、デザイナーに求められる訓練のひとつと痛感しました。


日本、アメリカ、イギリスでのプロダクトの違い

当たり前ですが、国ごとによってプロダクトに求められるニーズや解決すべき手段が全く異なります。なぜならそれぞれの国がもつ文化や天候、配送方法や支払方法、ユーザー間でのコミュニケーションなどの環境が大きく変わるからです。
日本、アメリカ、イギリスでのメルカリのプロダクトを比べるとその違いが顕著に現れています。

イベントでは下記2つについて触れられてました。

・イギリスは価格すら書いてなく、商品も洗礼されている。
晴れてる州ではビビッドなカラーが人気な一方ニューヨークのような地域ではヨーロッパではごちゃごちゃとしたデザインは売れないからだそうです。これは日本の文化との大きな違いがあるなと思いました。良いか悪いかはさておき、日本では文字が敷き詰められたデザインが多様されています。それは日本人にとって日本語は馴染みがよく短時間で多くの情報を処理することのできるからです。確かにデザイン的にはイギリスの方が好みですが、いざユーザーという立場になると日本のUIの方が安心感を得てしまいます。


・アメリカは天候によって必要とされる商品が変わる。
晴れてる州ではビビッドなカラーが人気な一方ニューヨークのような地域ではイギリスに近いダークなカラーが人気とのこと。
天候によって見える空の色や木々といった自然物の彩度が変わるため、それに合わせ好みの色彩がかわってくるのかもしれないですね。日本の北海道と沖縄でも同じ現象があるのかな、気になるところです。

また、ここでは触れられてませんでしたが個人的に気になったこともいくつかあります。懇親会に参加し質問すればよかったと後悔・・・。

・イギリスでは出品がフューチャーされていない。
シェアリングエコノミー的なサービスはヨーロッパにもあるらしいので、ユーザー側から出品するという行動は浸透しているはず。まずは、物を買ってもらうってことをしたいのか。(もしかしたら郵送周りのインフラが整ってないから、そこの設計をこれからしていくという可能性もあるかも)

・アメリカのTab barはアイコンのテキストが記載されていない
これはノンバーバルコミュニケーションが関係しているのかな。カテゴリーもアイコンで構成されていますね。
余談ですがもともとグローバル展開するサービスはアイコン中心で非言語のコミュニケーションをとれるようにすることで海外に進出する際の翻訳のコストを省くことも多いと聞きます。ただ、ハイコンテキスト文化な日本では、文字の力が強く、キャプションを付けるほうが直感的に伝わるというジレンマも感じてしまいます。

ひとつのプロダクトに対し各国の違いを比べる機会はなかなかないのでとても面白かったです。
どうしてそういう形になったか考えるにはその国の文化的背景も理解する必要があるという学びにもつながりました。


デザイナーとして幅を広げていくために

鈴木さんはデザイナーのあり方について「私はデザイナーだから」を融かすと仰ってました。
法律やインフラ関連など、自分がさわれない部分だからといって逃げるのではなく目的を達成するためにはデザイン以外の分野の知識が必要とされ、得た知識ともともと持っているデザイナーとしての能力とのかけ算が楽しめることがデザイナーの強みに繋がると。

これは本当にそのとおりだと思います。例えば海外にプロダクトを進出させる、または海外でデザイナーとして働くとなったとき考えなくてはいけないのは、文化圏によってユーザの行動変わる表現も変わるということ。

文化圏を理解するには、それを構成している言語、インフラ、法律、教育、政治、経済の枠組みなど理解しなくてはいけません。それは普段デザイナーとして学んでいる狭義のUIだけでは全く補えないことです。

歴史的な系譜の中で成立してきたユーザーの倫理を知ることでその国で生活している人にとって価値あるプロダクトが生み出せるデザイナーになれるのかもしれません。


参加して感じたこと

セッションタイトルは『デザイナーが海外で戦う、とは』ですが、お話を聞いていくうちに『デザイナーが世界に融ける存在になるには』という表現のほうがしっくりきました。(認識が違っていたらごめんなさい・・・)

海外でデザイナーをしているというと、漠然と「かっこいい」「英語ができなきゃだめなんでしょ?」といったイメージをもちますが、そうではなく文化的背景をしっかり認識し働き方やその国に住んでいるユーザーの倫理感を理解する必要があります。
逆に、それらをしっかり踏まえてその国の人々にとって価値あるプロダクトを提供できれば日本に縛られず世界中に融け出すことができるのではと前向きな気持になりました。


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