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話が合うと感じる人に異性が多いことを後ろめたく思っている話
自分の感覚的に最近同性より異性の人と話すことが多い気がしている。
気のせいでなければ、自分が生きてきた23年間の中でその感覚はとても珍しいことなんですけど、その理由をちゃんと理解して言語化してみたい。
同性の友人が少ない人は地雷?
「一般的な考えだよ〜」と刷り込まれる形で自分の中で、
同性の知り合いが少なかったら地雷みたいになっている。
その地雷に自分が片足突っ込んでいる可能性があると思っています。
それをなぜ気にしているのでしょうか。
「人からどうみられているのか」を気にしているからと私は思います。
そもそも自分の勘違いや考えすぎで済むのであれば、話はここで終わってもいいんだけど、なぜこんなことになっているのでしょうね。
今の状況や友人関係はどう構築されたっけ。この状況の責任の所在は?
半分は自分のせい?ほとんど自分は関係ない?それとも逆?
そこのところわかっていないよね。
単純に分母となる友人、知り合いの人が少ないだけ?
別に同性の人と話すのが嫌とかはない。
前話した社会人の人は話していて楽しかったし魅力的だったよ。
その社会人はある種僕が目指している一つの形みたいな人で、人から頼られるような人になりたいと言うような人でした。
一ヶ月くらい前に話したサークル同期の同性陣の話も面白かったし居心地が良かった。
じゃあやっぱり気にしすぎではないのか。
結局開き直って、また今度考える形に落ち着く
男性女性、同性異性を気にして考えて生きて過ごすのってアホくさ。
たまたま自分が話を聞いていて面白いとか楽しいと思う人が、
今自分の近くだと異性とやらが多かっただけではないですか。
こう開き直って書いちゃうと最初に真面目に言語化したいって言っていた自分に申し訳なくならないですか。なりません。
また後日どうせうだうだ同じこと言い出すから、
そこでまた改めて考えますよ。
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