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ミスコンは好きじゃないけど頑張っている人は好き

汗ばむ日差し。突然の雷雨。
今年もこの季節がやって参りましたね。

ミスコンです。(そうはならない)(本文中ではミスター・ミス両方を指します)

私は正直言ってミスコン自体はとても嫌いです。
アンチです。

そんなミスコンアンチがミスコンに挑戦している人を応援している話について今回書いていきます。

ミスコンは嫌いです

繰り返し述べますが私はミスコン自体は嫌いです。

理由は、参加者本人が求める男性像・女性像(自分像)よりも、外部からあるいは世間一般が求めている男性像・女性像がずっと大きく感じ取られるからです。

「なんて捻くれたやつだ」「言いがかりもいいところだ」「そんな癖のある見方をしている人なんていない」そういう声が聞こえます。

確かに。それは自分でも偏っていると感じます。

ですが、こればかりはミスコンというイベントの意義を懐疑的に捉えている以上許容して頂きたい視点です。

大学の名を借りたある人の成長物語

私はミスコンがいいなと思える側面が一つだけあります。

それは1人の成長や変化を試みている人を見られるという点です。

ですが、その側面に対してすぐ質問が飛んでくるのではないでしょうか。

「それってミスコンである必要性はありますか。」

「ありません。」

正直ないですね。

世の中どんな形であれ程度であれ、成長や変化を望んでいる人は多いです。
私の周りにも一定数挑戦者たちがいます。ミスコンじゃないとそういう人に出会えないわけではないです。

なので私がいいなと思える側面は、ミスコンであることは必要ではありません。

むしろどんな魅力があったとしても、前述した嫌悪感に近いネガティブな側面が勝ってしまうでしょう。

強いてミスコンである必要性を述べるのであれば、大学の名を借りることでなかなか挑戦できないことや相対的に大きな規模のことに挑戦できるということでしょうか。

あと、挑戦や変化の背中を押してくれる機会を提供してくれる一つの選択肢として存在してくれていることでしょうか。

そのような観点から私はミスコンのことを
大学の名を借りたある人の成長物語だと思っています。

これに関してはセンスがないだけで貶しているわけではありません。

人の成長が身近に感じられる環境っていいですよ

ミスコン自体はこんな感じでだいぶ懐疑的に、卑屈に捉えている私ですが、挑戦している人には心から敬意を表するとともに応援しています。

理由としては2つあげます。

1つ目は前述した内容と同じです。
「1人の成長や変化を試みている人を見られる」からです。

ある個人の考えに基づく変化や挑戦はそれだけで魅力的です。

例えば、ミスコンのプロフィールはその人の情報がよく記載されていると思います。同性であれ、異性であれその人の生い立ちや価値観が垣間見えるのは大変面白いです。

プロフィールを読むだけで、私の研究室にいる人よりずっとその人を知ることができたと思うほどです。それくらい普段から情報開示をしている人が少ないという観点で、ある人を追うという点ではもってこいのイベントです。

続いて2つ目の理由を述べます。
「何かに挑戦している人を身近に感じることで自身の活力になる」という点です。

私という人は外的要因によって努力の程度と質が大きく変化する人であると自己分析しています。

ミスコンに挑戦している多くの人は、何かしらの媒体を用いて、毎日活動や近況について報告をしています。端的にそれを見ると自分も負けてられないと思わせてくれます。


ミスコンって結局なんですか

ミスコン実行委員会を名乗る団体が構内で学生から意見を集めていた。

・「ミスコンが始まったことをご存知ですか」
・「ミスコンに対してどのような印象をお持ちですか。最近批判されている側面もありますが…」
・「ミスコンがどのような活動をしているかご存知ですか」などなど

4組ほどに対してインタビューをしているところを、私はご飯を食べながら聞いていた。そもそも活動をしていることを知っていた人が1組。その人は友人が出ているから知っていたとのこと。

4組15名ほどとは言え学生の認知率の低さに驚きました。
そしてミスコンってどの層のためのイベントなんだろうと思いました。

まあ興味本位で適当な候補者1名のTwitterフォロワーの学生比率を調べてみた。フォロワーが500人ほど。

プロフィールから大学生っぽい人を見つけ数えただけ。正確性も信憑性も皆無です。なんならTwitterのフォロー状況が関心と直結するとは限らない

1つしか調べていないので偏っている可能性は十分にあるが、学生のアカウントの割合は5-10%ほどだった。

正直認知率についてもこの1つしか調べていない結果にも私は驚かなかった。

ミスコンの意義や目的、活動に関して周知する取り組みが行われているようには見えず、ただ1年に1度ミスター、ミスキャンパスを決める。

前者の重要な点を放置し、後者の候補者発表から1人に決まるまでの過程を徹底的に追い注目を煽る。

なんのためにミスコンってあるんでしょうか。
大学の名前を借りる必要ってあるんでしょうか。

最初は適当な個人的な考えや感覚を書くつもりがいろいろわからなくなってきました。

真面目に考えすぎたから身勝手に終わるよ

「ミスコンアンチがミスコンに挑戦している人を応援している話について今回書いていきます」とはなんだったのか。終始批判していた気がします。

最初に述べたように私は卑屈で難しく、批判的にこの問題・事象を捉えすぎている可能性があると思っています。

そんな難しく考えるものでもなく、お祭り感覚で見ておけばいいのよ
と思う人もいるでしょう。

私自身、ミスコンに対して記述したような魅力的な点もあると思います。

ですが、それがミスコンという形である必要があるのか。

書き終わってみればそこにたどり着きます。

各ミスコン運営に対して、今年もまた魅力的な挑戦者たちに出逢わせてくれたことに感謝します。同時に、候補者が発表されてからグランプリを決定するだけの活動じゃなくなることを心から勝手に要望するとともにこの文章を締めます。



あー考え疲れた。

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