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文系大学院生もそんな暇じゃないよって話

文系大学院生ってどんな印象を抱かれているだろうか。

実験のために引きこもっている理系大学院生と比較して、暇していそうという学部における文系理系と変わらない印象を持っている人がいるかもしれない。

相対的に理系の院生と比べると暇かもしれない。
だけど、絶対的評価として私は文系の大学院生は暇ではないと思う。

今回は2020年の4月に進学して、2022年3月に博士課程前期課程(修士課程)を修了予定である大学院生の立場から、極力客観的かつ俯瞰的に文系大学院生活の2年間を振り返る。


文系大学院生活を簡単に振り返る

大学院生活1年目

1番に思ったのは大学院の講義が多すぎるということ。
1年目は本当に大変だった。

私の大学院では1学期最大12単位の習得ができた。
そして修了に必要な単位は30。

早い人で4学期中3学期目で単位を取り終わるという計算だ。

ちなみに基本的に1科目2単位なので1週間あたり6講義。
時間換算でいうと1講義90分なので540分。

「たった1週間6講義540分でしんどいとか舐めてるだろ!」
という指摘があると思う。

講義を受講するという点のみであれば楽かもしれない。
しかし講義は毎回予習や課題、あるいは発表があるため、私の場合実際1講義に使う時間は1週間あたり平均6時間ほど。講義によっては12時間くらいかかるものもあった。

つまり6講義受講していていれば、36時間くらいは1週間あたり自然となくなっていた。

そして何より、この時間に講義以外の内容は含まれていない。

例えば、自分の研究時間は含まれていないし、アルバイトの時間や他の課外活動の時間は含まれていない。

大学院生の1年目は週の6日ほどが講義に関すること+アルバイトで時間を消費され、残る1日で講義以外の自分がしたいことをするといった日々であった。

1番のストレスは自分の研究活動ができないことであった。


その点で文系大学院生は大学院の講義に自身の研究活動をはじめとする活動を阻害されていると言われても過言ではないと感じる。

他国から来た留学生や大学院の教授も日本の大学院の必要単位数は多いと話していた。
ヨーロッパでは修了必要単位数が10程度の大学院もあると聞く。

必要単位数が多いことが悪いとは言わないが、これに関しては明らかに研究に取り組む上で阻害要因であったと感じたことから減らしてほしいと思った。


大学院生活2年目

「必要単位数が30で1年目終了時点で24取れていたら、2年目は楽なのでは?」
という声があるかもしれない。

ここで私の前に立ちはだかったのが就職活動である。

博士課程前期課程は最短で2年で修了することが考えられている。

就職活動のスケジュールを逆算的に当てはめると、学部生でいう3年生が院生1年生であり、学部生4年生が院生2年生である。

民間企業を志す場合、大学院に入学した頃から就職活動のセミナー、夏休みにはインターンが始まる。そして1年の後半から終盤には就職活動が実質的に解禁されている。

公務員系でも大きくは変わらないだろう。春から夏にかけて試験などの就職活動が行われる。


私は1年の早い段階で、院生の忙しさを悟ったことを一つの要因として国家公務員や国際公務員の志望は取り下げ民間企業に一本化した。

1年の夏休みから就職活動を開始し、論文を1つ書き終わった2月から6月まで就職活動中心の生活となった。

本腰で就職活動に取り組んでいた期間は、研究活動に取り組むことはなく、講義も修了するために必要な講義しか受講しなかった。


本業に時間を割くことが辛かった2年間

つまり実質22ヶ月ある大学院生活のうち、約10ヶ月ほどは講義中心の生活を過ごし、約5ヶ月は就職活動中心の生活を過ごした。つまり約15ヶ月は自身の研究活動に満足に取り組むことができなかった。

あくまでもこれは私の一例であるため、人によっては就職活動を1ヶ月や2ヶ月ほどで終わらせる人もいるだろう。

講義の内容と研究内容がより密接な関係であれば、講義に取り組む傍ら研究にも時間を割くことが叶っていたかもしれない。


だが私の周りを見ると、民間企業や省庁へのインターンシップ経験のために半年を費やしている人は少なくなかった印象である。

私と同程度に、研究活動に時間を割くことができなかった院生は少なくなかったはずだ。


私は5月に内定先こそ決まったが、その後は自身の研究活動の遅れを取り戻すために必死であった。

そして、「内定先が決まっていても修了できなければ意味ない」という感情・現実に今月まで追い回されることになる。

このことから思ったのは、修士課程を修了したのちに就職を考えている大学院生の一つの選択肢として、あるいは理想的な生活として、修了がはっきりと目処が立ってから就職活動ができたらと思った。

あくまで客観ではなく主観であるが、修士課程の修了は学士課程の卒業より厳しく難しいと思っていることから、修了を計画に組み込んだ形で行動することに大きなリスクと緊張感を伴うと感じたことから理想を上では唱えた。


それくらい、目の前のことに取り組むことで必死だった2年間だった。

忙しいのよ文系大学院生も。


また、「お前の過ごし方は文系大学院生として邪道で賢くない」という指摘もあると思う。

確かに研究報告会や論文を公表するという活動はしなかった。

就職活動も普通の民間企業であった。

だけど、私が大学院に進学したいと考えていた理由に、「海外で論文を発表したい」とか「修士号を取得しているからこそ就ける仕事に就きたい」という考えがなかったため、後悔は全くと言っていいほどしていない。

実際大学院生活の中で、研究職に向いている人って一握りだなって実感もした。

おかげでというべきか、博士課程後期課程(博士課程)に対する未練というものには私には全くない。


だから今回のnoteもあくまで、一個人の経験、コロナ禍における文系大学院生の経験として「今の文系大学院生ってこういう過ごし方が考えられるのか」と、参考にしたい方や興味のある方に届くと嬉しい。


余談

先日修了合否の通知を大学から受け取り、修了が決まりました。

あまり実感がないというのが正直な感想ですが、一区切りということで肩の荷が降りたということが正直なところです。

そして、今回のnoteも修士論文の口頭試問後から書き進めていましたが、修了できていないのに公開するのも恥ずかしいなと思って少し下書きで封印していました。

また今週中により主観的な大学院生活の振り返りに関するnoteを更新しようかな〜って思っています。



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