見出し画像

人と話せば話すほど自分が破壊されていると感じた話

目が覚める。
ほぼ無意識のうちに体を起こし洗面台の方に足を進める。

「ああ、自分が壊されるところだった」

何の因果もなければためらいもなくそう思った。
何なら独り言でそう発声した気さえする。

目が覚めて最初に思ったことである。
「眠いなあ」とか「今日もぼちぼち頑張るか」とかでもなく

「自分が壊されるところだった」

最初に思ったことがこれである。

その日見た夢

何の因果もなくと書いたが
かすかに人と話す夢を見た覚えがある。

誰と話したかを覚えていなければ
何を話したかも覚えていない。

覚えているのはただ誰かと話したことだけ。

その話したという行為を通して
「自分が壊されるところだった」のである。

人と話すことで自分は「よく」なれる

私はここ最近たくさんの人と話したいと思っていた。

もともと話すことは好きなので、ここ最近という限定は不適切かもしれないが。

人と話すことは楽しい。
加えて多くのことを得ることができる。

その得たことをもとに 自分は人としてよりよくなれる。

知らない事実や考え、価値観に触れることを通して
客観的視点に則った自分の考えを持つことができると考えている。

主観に則った決めつけや否定をすることが減り
人の主張に流されることもなくなる。

人と話したい思いの裏には自己を確立したい思いがあった。

人との会話は自分を守る領土戦争

過去に用いた観点において 柔軟性が大事と考えていた私は、自分で言うのもなんだがスポンジのような柔軟性・吸収性を持ち合わせていると自負している。

↓↓↓過去に用いた観点(見なくていい余談)↓↓↓

その柔軟性・吸収性に先ほど述べた
人と話したいという思いがかけ合わさった。

その結果がどうなったか。

「ああ、自分が壊されるところだった」

冒頭で述べたこの感覚である。

たくさん吸収し自分を変えた結果、

もとの形(自分)を忘れてしまう失ってしまう感覚に襲われた。

もっと強く責任を他に押し付けると
人に侵食される、乗っ取られる、破壊される感覚に襲われたのだ。

「人と話せば話すほど、お前は自分を失うぞ」

そう言われているような気がした。

そして自分を侵食、変形させる人との会話が少し怖くなってしまった。


極端とも言える私のこの現状・考えを他の人に共有した際のエピソードはまた後日。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?