見出し画像

息子推し

うちの息子は今、中学1年生です。

私は息子が生まれた時から、この子には色んな経験をさせたいな、その中から大好きな事が1つでも見つかればいいな、という考えのもと、色々な体験、習い事をさせてきました。

今までの定期的な習い事は、絵画造形教室、ピアノ、体操教室、スイミング、英語スクール、プログラミング教室。

1日だけの単発だと、パン教室、料理教室、習字教室、野球教室、サッカー教室、テニス教室、ガラス玉細工作りや望遠鏡製作、チーズ&バター作りといった ものづくり、動物との触れ合い体験などなど、他にもいっぱいあります。

幼児期から年齢が上がるにつれて興味を持つものも変わっていき、「こんなのあるけどやってみる?」「うん、やってみたい!」という流れで、彼は様々な世界を体験してきました。

中学受験をしようとしていた頃、7年近くやっていたピアノと、約1年やっていたスイミングをやめました。その時は本人も受験の為の中断のつもりでしたが結局どちらも再開する事はなく、親としては、あんなに頑張ってたのにな、という気持ちが正直ありました。

ピアノに関しては、ピアニストになってほしかった訳ではなく、教養にもなるし、「両手両足を使って譜面を目で追いながら頭で考えるという楽器なので脳に良い影響を与える」という話を講師から聞いた事もあり、趣味として続けていけばいいのではという思いでしたが、中学入学後に聞いてみると、別に今は やりたくない、というので、そのまま終わりました。

子供を1人育てるのに1000万円、と聞いた事があります。どういう試算なのか詳しくは分かりませんが、習い事を入れたらきっともっとすると思います。うちは特に、そこはお金を掛けるところ、という意識が夫婦であって、夫はよく「投資だと思えば良いんじゃない?」と言っています。

でも最近SNSで【投資ではなく、推し活】という言葉を目にしました。投資だと、途中で子供が習い事をやめてしまった時にどうしても、お金が勿体ないと思ってしまうと。

プロになる以外、何がリターンなのかはよく分かりませんし、親が子に見返りを求める事自体なんかちょっと違うとも思うのですが、例えば小学生なら、6年生まで、卒業するまで頑張ろう、とか、ある区切りまでは やらせたいとか、そういう感情は分かります。

そこでこの【推し活】という言葉。

推し活だと思えば、いくらでも貢げると。子供がスポーツのクラブに入りたがっている、月謝は3万円、年間36万円、その道のプロになるとは思えない、さあどうする、となった時

これは推しの活動資金。浪費ではなく愛。

そう思えれば、リターンも気にせず、ただひたすら子供を応援できると。

我が家は「投資のつもりで」と言いながらも掛かったお金の事は気にしておらず(もちろん入会時には金額は気にしますし慎重に検討に検討を重ねますが)、どちらかと言うと、もう少し続けたら技術も上がりもっと上手になるのでは?という意味で継続させたかった感じでした。

ですがなるほど、推し活であれば、推しがそれをやめたいと言うのならさっとやめて、次にまた好きな事を見つけてください、という気持ちになって、応援する気持ちになるわけです。

子供への推し活。考えた方の発想が面白いです。

画像1


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?