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公民連携エージェントを諦めた男の物語2

入江智子さんの本が出ますの続き

市営住宅建て替えという呪縛

入居者、周辺地域住民からの建て替えプレッシャーとそれ以外の住民や議員の反対意見、財政危機による事業費捻出の困難さなど複合する課題が山積したまま、長年放置されてきた市営住宅の建て替え、阪神・淡路大震災が平成7年に発生しても身動きができないでした。
平成12年に共産党政権から奪い返した前の市長の元には地元からの声が頻繁に届くようになり、ついに再検討することを命じます。
前市長は行政が計画を策定し地元に説明する形では議会、他地域の住民の合意を取り付けるのは難しいと考え、「市民参加型」で進めるように条件をつけました。
 市民参加のまちづくりなど進めた経験のない都市整備部建築営繕課ではなかなか動こうとせず、たまたま市制施行40周年事業や「だいとうの顔づくりプロジェクト」という変わった事業を企画実行していた僕に白羽の矢がたったようです。
異動もそれこみだったのかは知るよしもありませんが。
建築営繕課の予算を都市政策課の僕が主担となり、カウンターパートナーが入江智子さんでした。センシティブな地域の住宅建て替えということで、その道の専門家である近畿大学の寺川先生にコンサル委託をお願いします。ここでも縁がありまして、地域に入り込んでまちづくりドクター稼業をされているハートビートプランの泉さんは寺川さんとご一緒に他地域でお仕事をされており、後に入江ちゃんの良き相談者で株式会社コーミンの嘱託としてmorinekiプロジェクトを支えてくださるようになります。

寺川さんのもとで二週間に一度の割合で2年間北条地域にダイブし、危険度マップや環境調査を住民の方と一緒にワークショップをしてまとめ、報告会やイベントなどを通じて関係を作っていきました。並行して市営住宅の建て替えプランも書き進めていたのですが、悲しいかな戸数を減らす発想はお互いに全くなく、当然地域も勝ち得たものを手放すなど口に出せるような雰囲気ではありませんでした。
結局このエリアに点在する440戸をどう集約し余剰地を生み出すかに議論は終始し、余剰地が売却見込みのないままに構想作りは終盤を迎えた矢先、僕が急遽財政課に異動になるという全く予想だにしなかった事態になります。もう一年で成案化できるところまできての途中退場は中途半端で住民の皆さんに申し訳ない気持ちで溢れましたが組織人としては紙切れ一枚でどこへでも行かされるのは守られている代償でもあり仕方ありませんでした。
この2年間、建築課担当として一緒にプランを考えたはずなのですが、入江ちゃんの印象はなく、一方向こうも僕が裏方として汗かいていた記憶がないらしく互いにまだ組織内で影響力もないままだったのでしょう。

平成19年度に財政課に異動になり、御案内の通りこの財政課というのはどこの自治体でも残業時間及び有給休暇消化率ワースト1という激務職場で、ましてや財政のイロハさえ知らない課長代理の身としては住宅建て替えが気になりつつも全く余裕もなく月日は過ぎていきます。

僕が去ったのちに「市営飯盛園第二住宅建て替え構想」は完成し、市民参加で作成したプロセスを経ていることから後は市長など執行部のゴーサインだけ。
でもここで致命的な欠点がありました。企画課を長く経験し市長、副市長などの意向を理解していた僕が抜け、元の技術職集団だけで仕上げてしまった構想には当然事業費が算出されており、その額は数十億円かかるものになっていました。住民と考え、建築職もいいものをと張り切るとお金の話が後回しになる、よくある穴に落ちていたのです。
結果、地域では横断的なまちづくり委員会まで設置され期待度も沸点まで上がっていたにも関わらず、執行部の判断は「凍結」、財政課職員の僕は表向きは「良し」、心の中では「採択」で事業費削減を条件にしたかったのですが、課長代理では抗えず、
「正しいことがやりたければ偉くなれ」和久さんの名言が思い出されます。
(続く)



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