自分のやりたいことって、誰にも許可取らなくても、やっていいんだってよ -2023/11/02(木)

・人生のどの地点を振り返っても、自意識の強い人生だったなと思う。
・フロイトで言うところの「超自我」がめちゃくちゃ幅を利かせているタイプなので、そろそろ広辞苑あたりが「自意識過剰」の例として私を載せてくれてもいいんじゃないか、と思っている。

・「私なんかがこんなことしちゃダメなんじゃないか…」って思うこと/思ったことが沢山ある。「別に誰もあなたの行動を制限なんてしてないですよ」という正論は、頭では分かっているのだが、やはり実際の行動に移すまでのハードルは異様に高い。

・そして、「私なんかがこんなことしちゃダメなんじゃないか…」と思って私が一生ウジウジしていることを、飄々とやってのける人がいる。そういう人たちのことを、10代のころは「なんかいけすかねえ」「嫌いだ」と思っていた。例えば…

「誕生日に年齢の数字バルーンや小物を用意して大人数ではしゃぐ」とか…
「リムジン女子会でミニドレス着た集合写真を撮る」とか…
「『アフタヌーンティーに来たよ✌』の他撮り写真を笑顔で撮ってもらう」とかね
※イラストはパフェだが

・けど、これはかなり自分の見たくないところから目を逸らしている言い方で、この時の「嫌いだ」は「本当はうらやましいのにそう言えないッス😭」の言い換えだったなあ…としみじみ思う。

・完全に、これ☝だったなあ…と思う。もっともっと言うと、完全にこの時☟のアンガールズ田中さんだったなあ……と、遠い目をしてしまう。

・「私は●●しないようにしてるのに、アイツは●●してる!許せない!」→「いけすかねえ!嫌いだ!!!」という思考回路だった。
・でも、なゆゆが言っている通り、「私は●●しないようにしてるのに」って完全に「知らんがな」案件だよね。それに25歳くらいで気づいて、とりあえず「嫌いだ!」を「うらやましいッ!!!」と言い換えるようにしている。
・実際に大きな声を出して「うらやましいッ!!!」と言ってみると尚良し。それまで渦巻いていた黒いモヤが、シャッと消えていく気がする。

・それからは、友達に「今までああいうの嫌いだって言ってたけど、やっぱりバルーン買ってバースデイパーティしない…?」とか「店員さんに写真撮ってもらわない…?」とか、少しずつ言えるようになってきた。
・他人から見たら「なんてしょ~もないことをウジウジ…」と思うかもしれないが、バルーンを買ってバースデイパーティの写真を撮ったり、アフタヌーンティーで笑顔の姿を写真におさめてもらったりすることで、少しずつ、少しずつ、自分の中の「ねじれ(ひねくれ)」が直ってきたように思う。


・この「私は●●しないようにしてるのに」、私個人が最もよく感じていたのは「私はこのツラ(&体型)だから可愛い洋服を着ないようにしているのに」だった。

・ゼロ年代に思春期を迎えた女なので、「女は若い、可愛い方が価値がある(=若くない、可愛くない女に価値はない)」というルッキズム全開のメッセージを、そこかしこから受け取っていた。
・雑誌、TVCM、同級生からの視線などなど…至るところにメッセージは転がっている。
・100%世間のせいだ!とは思ってないんですが。詳しくは後述。

・可愛い服を着るなら、37kgまで痩せなくちゃダメだ!パッチリ二重にならなくちゃダメだ!
・14歳の私は1000000%本気でそう思っていた。

・それが、今。

・自問自答ファッション、イメコン、自問自答ガールズ、色んなものの助けを借りて、少しずつ「今のままの自分」を認められるようになってきたのでは…?と思う。
・14歳の自分の肩をガッシと掴んで言いたい。ねえねえ、全然顔可愛くなってないし、痩せてないし、モテてないし、年相応に老けたし、子どもいるし、根暗のままだけど、でも、今可愛いお洋服着てるよ。なんか、本当の本当に、自分のやりたいことって、誰にも許可取らなくても、やっていいんだってよ。


~~~完全に書きたいだけの補足~~~~

・ゼロ年代に思春期を迎えた女なので、「女は若い、可愛い方が価値がある(=若くない、可愛くない女に価値はない)」というルッキズム全開のメッセージを、そこかしこから受け取っていた。
・雑誌、TVCM、同級生からの視線などなど…至るところにメッセージは転がっている。
・100%世間のせいだ!とは思ってないんですが。詳しくは後述

・☝この件。
・これ以外にも私の「可愛くて痩せてなきゃ、素敵なお洋服を着ちゃいけないんだ!」という強迫観念を加速させたのは、当時ロリィタ・ファッション界隈にはびこっていた「超・完璧主義」と「ファッション警察」のせいもあると思う。

・当時(ゼロ年代初頭)、顔立ちが可愛らしく、華奢な体型で、大手メゾンのお洋服をお人形さんのように完璧に着こなせる人は「池様(※イケてる人の意)」と呼ばれていた。
・そして逆に、顔立ちが十人並で、ふくよかで、安い通販サイトのお洋服を着ているような人を「沼(※イケてない、ダサい人の意)」と呼ぶ文化もあった。(…よね?)

・例えば、「私みたいな沼の民が、超池様のAちゃんと遊べるなんて感激~❣><」のように使う。
・急にニッチな界隈の専門用語の話をして、ごめん。
・もうちょっとだけ着いてきて…!

・この風潮がどんどん加速して、だんだん「池様のように完璧に着られないなら着るな」位の空気になってきた。
・「見てみて~❣」とアップされた初心者さんのコーデ写真に対して「靴下がラッセルレースwwwトーションレースの靴下を履くべき」とか、「このJSKにこのブラウスを合わせるのはおかしい」とか、ファッション警察がいっぱい生まれてしまったのだ👮🚨

・でも、ファッション警察が生まれた原因はそれだけじゃないとも思ってるんだよね。
・ロリィタ・ファッションが出始めたころ、あまりにもそれまでのファッションとは何もかもが違いすぎて、異様すぎて、バチバチにロリィタ・ファッションでキメて外に出ようものなら、「あんなんが普段着な訳ない」「ドンキのコスプレ衣装か?」「頭おかしい」など、それはもうめちゃくちゃに指をさされまくっていた。(…よね?)

・だからこそ、迫害された者同士の結束も強くなったし、表面的にその服装のエッセンスだけを真似しようとする者も出てきた。
・そこで、「こいつは本当に我々の仲間なのか?」を判断するために生まれたのが、ロリィタ・ファッション警察なんだと思う👮🚨
(本当にロリィタ・ファッションを愛してるなら、ペラペラでテカテカのコスプレブランドの服なんて着ないよね?毎月ゴスロリバイブル買って読んでるなら、そのJSKにそのブラウスを合わせるのがおかしいって、分かってるよね?などなど…)

・どんな形であれファッションを楽しむ権利があるので、ロリィタ・ファッション警察は「良い」か「悪い」かの二択で言うなら、他人に牙を向けているという点で「悪い」文化だったと思う。でも、この警察はただの悪意とか意地悪心から生まれた訳ではなくて、自分たちの誇りを守りたい!という気持ちから生まれたものなんだと思うと、難しいものよな~……と再び遠い目をしてしまう自分がいる。

・あと、「なんでそんなに完璧主義が加速したんだろう?」って考えてみると、当時「ロリィタ・ファッションを愛好する奴=芋臭い」、みたいなネガティブな偏見が世間に蔓延っていたので、「は?そんなん完成度<クオリティ>で圧倒してやんよ!!!ほら!お人形さんみたいで可愛かろ?!」とファイティングポーズをとって各自が努力しまくった結果、本当にお人形さんみたいに素敵な方々が界隈に増えたのではないかと思う。

・それ自体はとても愛おしく、そして悲しい戦闘態勢なのだけれど、それ自体が妙な形で加速し続けた結果、他人にも「どうして私と同じように頑張れないの!」と口出しをしたりするファッション警察が生まれたの、かな…。
・そうなると、どうしても「池様になれないんだったら、可愛いお洋服を着る資格はないんだ…!沼って後ろ指さされるのは嫌だ😭」って思っちゃう子が出てくるよね。幼き私のように。
・難しいねえ~。

・全然根拠なく、自分の体感だけでモノを言っているので異論は認めます。
・ロリィタ・ファッションだけじゃなく、ちょっとトガったお洋服とかにも同じ空気感がある/あったりしたのかな。

・服そのものよりも、「服を着る人の生活と葛藤」の話が一生好き。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?