彼女の理解できない可愛さ-人を信じるということ

・根本的に人を信じているパートナー、根本的に人を信じていない私

彼女はとても素直に喜ぶ。
人の好意をストレートに受け取る。

自慢だが(自慢かよ)久方ぶりに空港で私と会うとごく自然にハグしてくるし、極力物事の楽しい面・明るい面を見ようとする。
(ブラックジョークを飛ばすことは結構あるが)

私はというと、昔から人を疑うタイプだ。
母親がそういうことを言って聞かせていたからかもしれないが、お人好しとは言われるものの、ポーズだけでもとりあえず信じていないというフリをする。
うちの家族は総じてひねくれ者が集っている。

中でも私は人を避けていたし、好意を向けられることに慣れていないから、褒められてもサービスされてもどう受け取ったらいいかわからない。
愛想もよくないし、そこに後悔もないし、いっそ猫のようにそれを誇ってすらいる。
陰鬱とネガティブが醸すスパイシーさを愛してやまない。

人当たりの良さでいえば、彼女と私は真逆のところにいる。

・違和感を違和感として切り捨てられない感覚

はじめ、彼女がこんなにも気持ちよく人を受け入れ、にこやかに応対する姿に違和感があった。
お前なあ!と怒られるのを覚悟で言うならぶっちゃけ胡散臭いとさえ思っていた。(いまもまだちょっと思っている…)

しばらくそんなことがあったりなかったりすると、どうやら嘘で言っているわけでも、ポーズでやってるわけでもないらしいことはわかってきた。

そうしたら、違和感はそのままで、「ああ、これが彼女のいいところなんだろうなぁ」とスッと身のうちに入ってくる感じがした。

これこそが恋だとか愛だとかいうやつだという人もいるかもしれない。

ちなみに付き合う前にこの違和感と急に距離を詰められたのが怖くなって一度彼女から逃げ出そうとしたことがある。

そのゴタゴタを彼女は「私から怒られた」と思っているらしいが、私からすると怒るというよりは追いかけ回された猫がシャーッ!と引っ掻いたようなそんな感じだったなと、今となっては思う。

逃げ出そうとしてギクシャクし、結局腹を割って話すことになりその後逆に仲良くなって今に至るのだが、違和感を抱えたままでも近い距離で続く関係というのが初めてなので、やっぱりそれは特別なことなんだろう。

・観察、考察は職業病

こうした二人の関係性でさえも、創作活動に活かせるものだろうか、とつい観察・考察してしまうのだが、「生き様がものを作る人間でありたい」職業病かもしれない。

創作活動は彼女の好む所でもあるので、大目に見てもらうことにしよう。

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