新春の中馬街道を歩く
中馬街道
中馬街道(信州飯田街道)は、江戸時代中期以降に名古屋と信州・東濃を結んだ街道である。中馬とは馬運の中継地のことを言い、馬の背に積んだ物資の輸送が盛んに行われていた。信州や美濃からは農産物や林産物、名古屋や海部からは、塩、茶、海産物など、また瀬戸・美濃の陶磁器も運ばれた。農民の農閑期の副業でもあったという。愛知県瀬戸市の品野地区では古くからの街道の景観が残されており、令和元年に文化庁から「歴史の道100選」に選定されている。
新春の中馬街道を歩く会
3月19日、「新春の中馬街道を歩く会」が、昨年の「秋の中馬街道を歩く会」に続いて開催された。下品野地域力向上委員会 伝統文化グループ、郷土の歴史と文化を広める会の案内。同会は中馬街道を研究・整備し、磁器タイルの案内板やマップを設置しており、案内板をたどるように歩いた。今回は上品野の祥雲寺から下品野の全宝寺まで。前回の静かな山路から下った品野の町である。かつては馬運や陶磁器で栄えた街は見どころ満載だった。
名古屋では例年より早い桜の開花宣言がされたが、瀬戸市はソメイヨシノはまだ準備中。それでもシデコブシ、モクレン、ツバキなどを始めとするいろいろの花が咲き、ツクシもあり、春を楽しむ散策となった。川沿いの車の通れない道は「春の小川」を歌いたくなるのどかな道だった。
祥雲寺
本日の出発地。曹洞宗 瑞應山 祥雲寺、1541年創建。本堂に入れていただき、本尊の地蔵菩薩、位牌堂、秋葉山、夢違観音などを拝観させていただいた。さらに甘茶の接待も受ける。甘茶はお釈迦さまの誕生に降った甘い雨という伝承による。アマチャの木の葉を煎じたもので、砂糖を入れていないのにとても甘く美味しかった。4月8日の花まつりには、お釈迦様の誕生仏像が披露され、甘茶をかけるのだという。案内してくださったのはまだ27歳の副住職。インスタグラムやメタバースでもお寺を紹介されている。19代目だという。このあとの散策に同道された。
全宝寺
終点は、曹洞宗 大松山 全宝寺。もともとは阿弥陀堂があったという。阿弥陀ヶ峰城跡との説明板もある。小高く見晴らしも良いため砦として使われた。名古屋駅の高層ビルや、天気が良い日は鈴鹿山脈や伊吹山も見える。中馬街道の交通の要所であったが、この先の街道は鉱山開発等により失われているという。
入り口の擁壁に火の鳥のようなものが飾られているのは知っていたが、近くで見ると、陶芸の秘技・練り込みで造られていた。練り込みとは、色の異なる粘土を組み合わせた陶土を使うもの。鳥は双頭で「共命鳥」の銘があった。
品野祇園祭
7月第3土曜日の夜は下品野のお祭りである。全宝寺に安置されている神武天皇と従者の像が山車に載せられる。バロー品野店に入る道の一角に津島社が祀られており、ここでの神事から祭りが始まる。道路を1㎞ほど通行止めにして、山車や神輿、踊りの列が賑やかに練り歩く。祭りの1週間前頃から、提灯やパネルにした子供たちの絵が道路沿いに飾り付けられ、町にウキウキした雰囲気が感じられる。
五丁目観音堂
馬運の道のため、馬の供養や道中の安全を祈願する馬頭観音が道筋のあちらこちらにあった。
五丁目観音堂は、馬頭観音、行者、地蔵菩薩などの11体の石仏が集合し、鮮やかに彩色されている。お化粧観音とも呼ばれる。お堂の暗がりにぱっと目立ち、キッチュで素朴な味わい。毎年町内役員が塗り直すという。
稲荷神社と城址
稲荷神社は上品野の氏神である。戦前は飾り馬の奉納があったという。神社入り口にある磁器創業の碑は、明治に入って磁器製作の許可が下り、町が栄えたことを伝える。
神社横の山上に品野城址がある。この地域には7つもの城跡があるという。品野城は松平清康(徳川家康の祖父)に攻められ落城し、品野は約30年間松平(今川)の支配下にあった。山崎城に駐留する織田信長の武将に大勝したこともある。こんな地方にも家康、信長の関わりがあるのだ。
豪雨災害
昭和32年の豪雨水害で品野川は氾濫し流路を変えた。上品野・中品野で鉄砲水により死者3名、行方不明者6名の被害が出たと『新愛知タイムズ』が報道している。整備されたあとの品野川の堤に、磯貝平助さんが人々の幸せを願って桜を植え、「平助桜」と呼ばれている。
品野火の見下
「品野火の見下」というバス停留所。前から変わった名前だなと思っていた。以前、近くに火の見櫓があったのだという。教えられてみると、確かに土台の金具がコンクリートに残っている。(言われなければ、道の一部としか思えない)。この会では、詳しい人が適宜説明してくださるシステムのようだ。それぞれの専門分野をよく研究しておられるし、ずっと住んでいるため町のエピソードも豊富だ。昔の様子、地主だった有力者、大火事があったこと…歩きながらエピソードが次々に語られる。メンバーが列からふっと離れ、庭先に出ている住民の人とあいさつを交わす場面も多かった。
そう言えば、瀬戸に住んで30余年の私にも語れるエピソードがある。火の見櫓跡は、菓子屋・栄泉堂、旧店舗のすぐ脇の道だが、栄泉堂はもともとは普通の町なかの和菓子屋さんだった。お饅頭とか羊羹とか季節ごとの和菓子が並んでいた。ところがいつの間にかおしゃれで美味しいケーキ屋になり、「品野ロール」が大ヒット。今は「パティスリー EISENDO」として水野町に移転し、可愛らしいお店は相変わらず大繁盛。とか、バロー品野店の敷地は、昔は清酒醸造業、柴田合名会社で、代表する清酒の銘は「明眸」であったとか。新しい人には「すごーい。知らなかったー」とか言われたりするかも。
体験を語り継いでいくことは、地域の歴史や文化を後世に残す一助となる。本日は、地元の人たちが地元への愛と知識とで案内してくださった、楽しい春の散策だった。
上杉あずき@STEP
参考:「新春の中馬(信州飯田)街道を歩く会」資料
『瀬戸市史 通史編 下』
「のんびりじっくりせとマップ ⑦パワースポットを巡るコース」
(瀬戸市文化課)
上品野マップ:信州飯田街道(中馬街道)②上品野
(瀬戸市文化課)