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適切な場所で多くの時間を割くこと

私は、小学生1年生のときに、地域のサッカークラブに所属した。サッカーを始めた。同じクラスの友達がやっていたから始めた。特にやりたい訳ではなかった。

小学校の卒業文集の将来の夢には、何もなりたいものがなかったから「サッカー選手」と書いた。なれるとも、なれないとも思わなかった。つまり特に何も考えていなかった。

中学校に上がると、部活動というものがあって、誰しもそれに入らなければならなかった。私は、小学生のときにサッカーをやっていたので、サッカー部に入ることにした。特にやりたい訳ではなかったが、他に入りたい部活もなかったのでサッカー部に入った。

一緒にサッカー部に入った友人達からも、これと言ってサッカーというスポーツそのものが好きな様子は感じられなかった。入部する部活動がサッカー部である必然性は無かった。私と同様、小学生のときにサッカーをしていたから、中学生になってもサッカーをやっているだけのように見えた。

中学生最後の大会は1回戦で大敗した。チームメイトは泣いていた。私は悔しくも、悲しくも、何ともなかった。特別な感情は生じなかった。チームメイトの涙の理由が分からなかった。私は、仲間が部活動に一生懸命打ち込んでいたとは到底思えなかった。涙をするには、何かしらの理由が必要だと思った。その理由が、3年間努力をしなかった自分が不甲斐ないから泣いている、ということでなければ私は納得しなかった。

高校に入ると、中学生のときの友人がいなくなった。私は、友人を作らなければならないと思った。サッカー部であれば、私もこれまでサッカーをしてきたから、そこで友人が出来ると思った。だからサッカー部に入った。それ以外の理由はなかった。

高校のサッカー部は、中学校とは違い、みんな真面目にサッカーに取り組んでいた。選手権大会という全国大会に出場することを目標にしていて、部活動は毎日過酷なトレーニングが課された。

私はチームメイトとの間に、技術と意識の差が存在することに気づいた。しかし、私は、持久力だけは自信があった。5キロ走をすれば、必ず部内で3番には入った。監督は、持久力がある私を好み、なぜかAチームの試合に帯同させた。スターティングメンバーとしては出場しないが、ベンチメンバーとして、たまに試合に出た。私は試合に出たくなかった。ミスをするのが怖かった。リスクのあるパスはしなかった。萎縮しながらプレーをしていた。試合に敗北すると、チームメイトの視線が私に向いている気がした。

高校生最後の大会は3回戦で負けた。私は、後半の途中から出場した。チームメイトは、みんな泣いていた。私は、相変わらず泣かなかった。ただ、やっと終わったと思った。

小学校1年生から高校3年生まで、好きでもないことをよく12年間も続けたと思った。長年サッカーという行為を続けていた自分を不思議に思う感情しか芽生えなかった。青春の意味は最後まで分からなかった。

興味の無いことを続けることがあるのだなと思った。チームメイトはどう思っているのか気になった。涙をしているからには何か特別な感情があるのだと思った。

私は、自分の時間を無駄にしてはならないと思った。心が動かなければならないと思った。長く同じことをしていると、それが続ける理由になってしまうと思った。

私が時間を割くのに、適切な場所を探さなければならないと思った。


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