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読書記録①

今日読み終えた2冊の本「自閉症児・発達障害児の教育目標・教育評価」について少し記録を残しておこうと思う。学校でおすすめしてもらった本だ。

この本は、本来学校現場における評価とは、子ども、教師、保護者を励ますものとしてあるべきだが、寧ろ、実践の中で生まれている生き生きとしたものを失わせている現状にあるのではないかという問題意識により、教育目標、教育評価について問い返している本である。

この本で一貫して主張されていると考えられる子どもたちの願いは何であるか、子どもたちの見ている世界はどんなものか、と教師が自分自身の教育観や人間観を問い直しながら子どもたちとともに探っていくという考えには元々共感していたため、そうだよな、そうだよなと頷きながら読むことも多かった。

しかし、このnoteには敢えて疑問を残しておきたいなと思う。

まず、「文化」とは何か。

最近教育現場に入り、「文化」という言葉をよく耳にするようになった。

この本でも「文化」を「人間が自然とかかわり合いながら、人間同士がかかわり合いながら創り上げてきた、ものの見方、考え方、価値観、感じ方、生活様式である」として、文化と出会うこと(参加すること)によりその文化を享受していくことを教育の目的として置いている。

でも「文化」といっても、今の時代、何か共通の「文化」があるかと言ったらそうではないだろう。「文化」は、そのコミュニティ、1人ひとりによって複雑に繋がり合い、異なるはずだ。

「文化」という言葉で表している理由があるはずだが、学校教育の中で、この本の中で表されている「文化」とは何なのだろう。文化を享受していくとするならば、それは教師から子どもたちへという構造になりかねないのではないだろうか…

最近、先生方と、その子の給食指導について考える前に、その子にとって「食べる」ということがどういうものなのか、教師自身が「食べる」ことについて問い直すべきなのではないかという話をした。

人にとって「食べる」ということの意味、そのコミュニティにとっての「食べる」ということの意味、その子にとっての「食べる」ということの意味…このような問いも「文化」と大きく関わっているなと思う。

このような場合を考えると、文化の享受というよりは、人と人が紡ぎ出す関係性の中に参加する過程で、新たな「文化」を創出していくという捉え方ができるだろう。

うーん…もう少し考えてみたいな。(最近考えてみたいとふっと頭の隅に置いておくことばかり笑)

もう1つは、この本で問おうとしていることは「障害児教育」(この本では障害児教育とされているので敢えてこの言葉を使う)特有なものなのかということである。発達がゆっくりな子どもたちがいる。社会が設ける標準とは違う道すじを歩く子どもたちがいる。そうした中で、障害のある子どもたちにはその子にあった教育が必要なのだとそういう主張も確かにあるのかもしれない。

でも、きっと私たちが問い直さなければいけないのはそれだけじゃなくて…教育そのものについてもっともっと問い直すべきなのではないかと思う。障害のある子どもたちと共に教育を考えていく上で気づかされることを元にして、社会の在り方への問いや働きかけに変えていけるような…教師としてそんな取り組みができたらなと思う。

そして最後に。

この本では、実践の記述の仕方についてとても考えさせられた。この本にはすーっと心に入ってくる文章や情景を思い浮かべてつい笑ってしまうような文章が溢れていた。

人の心にすっと届く文章、書けるようになりたいなと改めて思う。


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