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古のオタクはどこへ行ったのか

ここ数年で、すっかりアニメが一般層に定着してしまった。
なんで悲劇的な言い方をするかというと、僕のような人間が居場所を失ったからだ。


古のオタクについて


昔は深夜アニメなど見ていようものならオタク判定されて迫害されるのが当然だった。それはお前の人格のせいだろと言いたい人がいるのもわかるし、実際に何割かはそうなのだが、2000年から2010年代はまだオタク=クソナードという風潮が強かったのだ。

補足的に解説しておくと、いい年した人間がアニメなんて見ているのはおかしい、という風潮は昭和の時代から根強く存在した。
宮崎勤の事件が起きてからは、オタク像に犯罪者予備軍という属性も加わり、一時期は本当にひどい扱いだったそうだ。

彼は東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の犯人で、逮捕後はそのプライベートまでもがマスコミにさらわれたわけだが、自室には大量のビデオがあり、いわゆるオタクだったと報道された。
真偽は不明だが、コミケ会場にマスコミがやってきて、参加者に
『ここに10万人の宮崎勤がいます』
のようなひどい言葉を投げつけたという話もあるほどだった。


話を戻そう。
僕がいわゆる青春時代を送っていたのはだいたい2000年代から2010年代で、未だに二次元コンテンツへの風当たりは強かった。
ホストがとんでもない髪型をしていた時代でもあり、男子高校生はみんな頭をベトベトのツンツンにしていた。当時の教室の風景は、さながら次期FF主人公オーディションのようだった。


FF15公式より引用

自分は当時からすでに気分障害のきらいがあって、コミュ障なうえにおしゃれに興味もない陰キャだった。オタクだったのは言うまでもない。ときメモとかやってそう、みたいな悪口も言われたことがある。
実際にやっていたのはエロゲだが。

今の感覚だとしっくりこないかもしれないが、
当時、深夜アニメやアングラなゲームなどのオタク趣味に走る輩は、
半数以上が現実に居場所のない連中だった。

今で言う、コミュニケーション障害とか発達障害とかだろうか。
とにかくそういう要素を持っていたり、上手く話せなかったりで、周囲と歯車が合わない連中が、オタクコンテンツで自分を慰めていたように思う。
少なくとも僕はそうだった。

そんなこともあって、僕は半不登校状態だった。
担任をして、いるのかいないのかわからないと言わしめたほどだ。

何をしていたかというと、
夕方から夜にかけてバイトをして、夜中は居場所のない奴らと遊んで、朝から夕方まで寝るという生活を送っていた。
灰色の青春ではあるが、まぁ楽しい期間だったと思う。
そして貯めたお金でコミケやオンリーイベントに行き、同人誌を買い漁った。同人ゲーやエロゲも積極的に買い漁っていた。

たまに秋葉原に行くのも楽しみだった。
繰り返しになるが、当時のオタクは現実に居場所のない人間が多く、
また当時の秋葉原はそういう人間でも許されるような空気感が残っていた。
雑居ビルにエロゲショップが点々とあったり、白陵大付属柊学園の制服を着たオッサンが堂々と歩いていたりした。

※白陵大付属柊学園は、記事のトップ画像に使わせてもらった
 『君が望む永遠』というエロゲ及びアニメの制服だ。
 オッサンはトップ画像のような女子用の制服を着て歩いていた。

秋葉原通り魔事件が起きる少し前だったので、まだ歩行者天国が盛んであり、路上でコスプレして踊ってる人もいた。

そういう人たちを眺めながら、近所には絶対にないようなショップをめぐるのは楽しかった。
よそでは縮こまってる人も、好きに振舞っていい場所だったのだ。
もちろん公衆道徳は守らないといけないが…。
僕にとっても、憚ることなく呼吸ができる数少ない場所だったように思う。

ちなみに最近、トレカショップの客の悪臭問題が騒がれているが、当時のコミケ後の同人ショップなんかは非にならないくらい臭かった。僕らのオタクコミュニティはその空気を『瘴気』と呼んでいた。当時のメロブとかとらのあなは、洗濯せずに着古した柔道着のような臭いが充満していた。

とにかく、僕がオタク全盛期だった頃のオタクという存在は、犯罪者予備軍とはいかないまでも、間違いなく被差別対象だった。
古と自称するには歴が浅いかもしれないが、僕が10代の頃ですらそうだったんだから、もう少し前を生きたオタクはもっとひどい目に遭ったんだろうな、と思う。

最近はグッズや缶バッジをカバンにつけている人をよく見かけるが、当時の価値観からしたら社会的な自殺に他ならない行為で、見るたびにヒヤリとする。


気づけばオタク文化は一変していた


そして就職してからは、そういう作品を摂取するエネルギーを失ってしまった。

2010年代から2020年代にかけての時期だっただろうか。
深夜アニメや二次元コンテンツはどんどん増えていき、1クールに数十本のアニメが放送されるようになった。正直、仕事やら家庭事情やらで精神が死んでいたので、アニメを消化する気力がなかった。

仕事が辛すぎるとオタク趣味に費やす情熱も燃え尽きてしまうのは、社会人あるあるだ。死んだ目で働いているうちに、どんどん新作のゲームやアニメが登場したり、青春時代にやっていたアニメがリメイクされたりする。
かくいう僕もそうで、ひたすらに仕事という現実に耐えていた。

そして、すべてが嫌になって退職し、地元からも飛んだのが数年前である。
自由の身(無職)になってから、少しはオタク趣味もやるようになった。
(とはいえ、少しアニメを見たりゲームをしたりする程度だが)

しかし、僕が働いていた約10年の間に、いわゆるオタク文化はすっかり変わっていた。昔ならFF主人公のような髪型で前略プロフィールを書いて、青空ポエム画像をつくっていたような奴らが、普通に萌えアニメ(死語)を見ているのだ。


当時はこういう画像が大量発生していた


アニメ産業が金になるとわかってメディアが手のひらを返したとか、時代が追いついたとか、理由はいろいろ言われているが、結果としてオタク趣味は特に珍しくもない、普通の事になった。

なんとなくだけれども、僕は変化したオタク文化に乗っかりきれなかった。
嫌な言い方をすると、
『避難先を普通に生きられる人に占領された』
気がしたからだ。
限られた優先席を奪われたと言ってもいいかもしれない。
単に歳を取って老害化しただけかもしれないが…。

スマホが普及してネットにみんなが押し寄せるようになったのと同じような感じだ。普通の人が押し寄せたせいで、普通でいられないからこそ流れ着いていた原住民が追い出されてしまった。

昔のネットは個人が収益度外視でつくったテキストサイトとかもチラホラあって、ユーモアに満ち溢れていた。だが、ブロガーとかいう連中があらわれ、おもしろくもなければ再現性もない、糞みたいな情報が溢れてしまった。今ではそいつらの亜種がYouTubeに流れ込んでクリエイターを名乗り、その辺で聞きかじれば書けるようなコンテンツを安い人材に書かせて大量に放流するようになってしまってもいる。
(昔のニコニコ動画が好きな人にはわかると思う)
とまぁ、この十数年で、インターネットはおもしろいどころか、不快な場所になってしまった感じだ。

オタク文化もそうで、いろんな人がなだれ込んですっかり一般化し、ビジネスの臭いが立ち込めるようになった。
かつての同人ショップの瘴気なんかより、よっぽど臭い場所になってしまったのだ。

逃げ場としてのオタク文化は、僕が糞の足しにもならない仕事に振り回されている間に、すっかり消えてしまった。
退職した後、何度か秋葉原に行ったが、町の様相はすっかり変わってしまっていた。
臭かったショップは脱臭され、町の空気感が観光資源化していた。
白陵大付属柊学園の制服を着たオッサンも、絵に描いたようなオタクもいなくなり、なんだか身ぎれいな人たちが通りを闊歩していた。

今となっては『秋葉原に行って何をするの?』状態である。

そもそも、昔なら秋葉くらいにしかなかった同人ショップが、次々と地方都市に出店している状況だ。もはや秋葉原に行く意味はほとんどなくなったし、それ以前に象徴としての秋葉原は終わったと思っている。

オタクはどこへ消えたのか?


とまぁ、最近は現実でも上手くやれそうな奴が趣味でアニメとかゲームを普通に消費する世の中になってしまった。

オタク趣味は晴れて被差別属性ではなくなったわけだ。
それ自体はいいことだと思うし、そういう趣味をオープンに語れる今の若いオタクはうらやましいとすら思う。

しかし仮に、僕が今の若い世代の人間だったとしても、どこか別の場所に追いやられていたんだろうな、という悲しい予感があって、素直に喜べないというのが正直なところだ。

繰り返しになるが、僕が10代の頃のオタク趣味は、現実からの逃避の意味合いを多分に含んでいた。
僕がアホだったのも悪いが、僕の通う高校にはFF主人公男子と、セックス飽きたとか大声でのたまう女子に溢れていた。
そういう連中から白眼視される状況に耐えられず、最低限留年しない程度に授業に出るだけになった。文化祭も体育祭もサボった。
要は高校という場所から逃げたのである。

そんな僕のだぶついた情熱を向けるのに、当時のオタクコンテンツはうってつけだった。数少ないアイデンティティになってくれたようにも思う。
とはいえ、根をたどれば、不適合者の逃避でしかなかった。

たぶん、白陵大付属柊学園の制服を着たオッサンや絵に描いたようなオタクたちもそうだったんだろう。
どこかから流れ着いてこなければ生きられなかったからこそ、変に干渉したり嘲笑したりしない、絶妙な空気感があった。

今になって思うのは、彼らはどこに行ってしまったのか、ということだ。
ライフイベントをこなせているなら何よりだが、そういう人たちにはとても見えなかった。
僕だって、今となっては無趣味に近いわけのわからない人間になってしまっている。みんな似たような、よくわからない生き物に戻ってしまったんだろうか。


そんなことを考えていた頃、かつてオタク仲間だった友人と偶然にも再会した。他校の爪弾き者同士で、どうやって知り合ったのかは覚えていないが、とにかく仲のいいオタク友達だった。

彼は高校卒業後、工場に就職していたようだった。

もともと彼は笑顔の絶えない明るいオタクだった。
オタク趣味が市民権を得た今、彼は水を得た魚のようにオタ活とやらをしているんじゃないかと思っていた。

しかし、現実は違ったようだ。

毎日毎日、職場の人間に怒鳴られて大変だと、彼は見たことのないような笑みを浮かべながら話していた。
僕が知っている、新刊をゲットした時のような満面の笑みではなかった。
苦しみが滲んだ、息の詰まる表情をしていた。
心なしか、泣きそうになっていたようにも見えた。

一方で僕は心を開けず「ぼちぼちやってる」としか言えなかった。
お互いに当時の輝きはなかったように思う。

彼は話している間、終始片方のまぶたが痙攣していた。
僕が知っている彼にはなかった特徴で、おそらくは会っていなかった数年のうちのどこかでできた心の傷なんだろうなと思った。そのことに触れる気力も勇気もなかった。

本気だったのか社交辞令だったのか、今でもよくわからないが、また今度遊ぼうと話して別れた。

その日以来、彼には会っていない。
地元から逃げたせいでもあり、何となく行動できなかったせいでもある。

でも、あの痙攣するまぶたを思い出すと、今でもヒヤリとした考えがよぎる。おそらく居場所はないだろうけれど、どこかで生きていてほしいと勝手ながらに思っている。
いつのまにか、彼の連絡先も紛失してしまった。
また連絡が取れたら、今度は本当にどこかに遊びに誘うつもりだ。
一緒に秋葉原に行って、路肩に座って小天狗おでんでも食べようと思う。


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