#文舵練習問題その7
問1:ふたつの声
①土曜日の十時半。新はコンビニのイートインスペースでサンドイッチとコーヒーを傍らに試験勉強を続けている。ワンルームの部屋には新の母と妹のなのは、弟のあさが暮らしていて、弟たちが起きている限りとても勉強なんかできる環境ではない。母親は朝からパートに出かけてしまう。そのあとはもう無法地帯だ。だから新はいろいろな居場所を転々として勉強を続ける。
レジにはフィリピン系の女の子が一人入っているだけだ。新も何度か接客してもらったことがある。日本語の発音が器用で物覚えのいい女の子だった。名札にはサラと書かれている。大学生くらいの集団が入ってきて、おにぎりやアイスや氷、飲料を大量に買っていった。五人が一斉にレジに並んだので、サラが少し手間取る。集団のうちの一人が差別的な表現をした。サラの肌色についてだ。それから、無知と偏見のサンプル例みたいな会話が続き、誰の口からかはわからないけど、「国に帰れよ」という声が確かに聞こえた。
サラは平気な顔で接客を続けている。マニュアル通りに淡々とこなしている。やがて全員の会計が終わる。大学生たちは軽自動車に乗り込んで海へ続く県道を下って行った。楽しそうな笑い声が新の耳にいつまでもこびりついて取れない。勉強が手につかず、逃げるようにコンビニエンスストアを後にした。
②綾香がバーベキューの誘いをくれたのが先週のことだった。人数が足りなくなったのだという。多分、岩垣君と沙理ちゃんが別れたからだろう。代わりになのかが呼ばれたのだ。気乗りしない誘いだったけど、結局断れずに参加することになった。行きしなにコンビニで買い物をすることになり車を止めた。
「あたし行くわ」
「えー、なのかが行くなら私も」
「俺も、荷物持つで」
結局全員で降りることになった。ぞろぞろと連れ立って買い物をするのは少し恥ずかしい。必要なものを見繕って酒井君の持つかごに入れる。綾香は花火や自分の好きなものをどんどんかごに入れている。木崎君も綾香と一緒に自分のかごに適当にものを放り込んでいる。なのかはすこしいらだつ。会計をまとめてくれた方がいいのに。あとで生産すればいいのだ。でもこの間の集まりで綾香に「お金に細かすぎてめんどくさい」と笑いながら言われたことを思い出して、こらえる。
レジにはアジア系の外国人の女の子が立っていた。みんなが一斉にかごを置く。「これとこれ一緒で」「あ、あたしのは別でー」結局会計に時間がかかる。代表を決めてひとりで買い物すれば絶対に早かったのに。なのかのいら立ちを別に、酒井君はじろじろとレジの女の子を見ている。「なんなん、好みなん」木崎君がにやにやしながら酒井君のわき腹をつつく「そんなわけないやろ」短く、レジの女の子の肌色を表す言葉を吐いた。体が凍りついたような感覚がした。田代君が煽るように言う。「ってか最近コンビニレジ外人多くない?」「日本やばいんちゃうん」「こわない? 治安とか」「こないだも駅の近くに中国人が集まって騒いではったわ」「声デカいんよな、ああいう人ら」「怖いわ」「ほんま、国に帰れよ」
フードコートで自習している男の子から、殺気みたいなものがほとばしるのを感じる。レジの女の子は少しも動じずに接客を続けていた。ああきっと、わたしたち、今この人たちから同じ人間と思われていないんだな。なのかは怖くなる。怖くて少しも動けない。綾香に促されてやっと店舗を出ることができた。
冷房の効きすぎたコンビニを出た直後なのに、なのかの肌は氷みたいに冷たい。車に乗り込んではしゃいでいる四人を、同じ日本人だと信じることができない。車を降りて今すぐ帰りたい気分だ。なのかは目を閉じる。四人を乗せた車を運転している姿を。思い切り乱暴な運転をして一人また一人と振り落とす。
….とりあえず免許をとろう。話はそれからだ。なのかはそれ以来綾香からの誘いは絶対に断るようになった。気がつくとライングループにも呼ばれなくなって、だけどそれが正解だったんだと、なのかは思う。
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