見出し画像

【読書日記】インセスト【アナイス・ニン】

 アナイスの日記は日によって気分がまるで違う。躁と鬱を繰り返している。そしてとても分析的。心にメスを入れる外科医のようだ。

 彼女の日記がなぜ「自己愛的」と言われるのか疑問だった。しかし考えてもみてほしい。自己愛というのは他人に自分を大きく見せようとありもしない実力を誇らしげに見せたり、自分を大きく見せるために相手を傷つける人のことを言うのだ。
 アナイスは注意深い。他人を傷つけることを楽しんでいるタイプでもない。更に言うと日記は他人に見せるためにつづられたものでもない。あくまで自己分析的に書かれている。

 たとえばある女性の感想で、彼女は愛を与えていると言うが最後には相手を棄ててしまうのに。とかなぜあそここまで自信たっぷりなのだろう。と描かれていた。

 その人はおそらく愛する人と距離をとることを望まない人なのだろうと思う。そして私にはアナイスが自信たっぷりにはあまり思えない。彼女はしばしば落ち込んで自身の能力に幻滅している。怯える自身を奮い立たせるようにして筆を執ったように見える日もある。また、私はアナイスがなんの責務も果たしていない、とも思わない。家事も夫のマネジメントも、ミラーの創作の編集までしている。あり得ない量の仕事をこなしている。

 批判する人の頭から抜け落ちていると思うのが、これが(初期は特に)パーソナルな日記だったということだ。日記に自分以外のことを多く書く人がいるとしたら、その人の方がよほど利己的で自己愛的に見える。相手からどう思われているかで頭がいっぱいに違いないから。

 

 男性批判者に私が思うことは、おそらく男性は自己の扱いに手馴れていないのだろう。ということ。

 自分で自分を奮い立たせたり機嫌を取ったりする必要に駆られる頻度が、女性よりも少ないのだろう。周りの人間が代わりに機嫌を取ったり対処してくれるか、それでも追い付かないときは飲酒でごまかす人が多いのではないか。それになにより、個人的な事情ばかり書かれているアナイスの日記を少しばかり蔑んでいるようにも思える。業務や野心について描かれていないから。
 実はアナイスの日記にも業務の様子は描かれているのだが、誰かをサポートするための手間やアイデアはあまり顧みられることがないみたい。胸が痛い。

 個人的な日記を読み解くときにまで、著者の「自己愛的」な動機を読み取ってしまう人の方が、よほど自己愛にとらわれているように思える。たとえば彼女を診察していた精神分析家の見立て。「あなたは父親に認めてほしいと思っている。彼に見せるために日記をしたためている」

 それはそう言えないこともないだろうが、しかし。私はヘンリーの見立てが一番正確だと思っている。「コミュニケーションの不足を補う代償行為のようなものだ」さすが、よくご存じで。あるいは主婦の生態にお詳しくていらっしゃる。そして日記は彼女が自身を分析するための鏡でもある。


 それでもアナイスの日記は確かに視野狭窄なところはある。俯瞰的に物事を透視しているときと、描かれている事柄の微細さがアンバランスだ。

 私が疑問に思うのは、彼女が男性に生まれていても同じように日記を書き続けていただろうか、ということ。日記にその日の株価やニュース、業務内容や目標修正、上司の愚痴、などが紛れ込んでいたのだろうか。

 その日記は果たして誰かに面白がられるようなことがあったか。文豪とのセックスの描写抜きで。出版され多くの人に読まれ、正当な評価を受けるようなことがあっただろうか、ということ。


サポートいただけると嬉しいです。記事に反映させます。具体的にはもっと本を読んで感想を書いたり骨身にしたりします。