読書感想文『あいつらにはジャズって呼ばせておけ』/ジーン・リース

 惑星と口笛ブックスという電子書籍レーベルから出ている『あいつらにはジャズって呼ばせておけ』ジーン・リース を読んだ。

 短編集なんだけどすごい良かった。この間読んだ川上未映子先生のエッセイでも近いことが書いてあったんだけど、思春期にいざ女性作家の本を手に取ろうと思っても、学級文庫や図書室になかなか置いてないんだよね。特に短編集なんかはそう。海外女性作家の短編集なんかそうそうない。やっぱり長い作品を書ける人が偉いってことになってるのかな。ヒロインズでもキャノンって揶揄されてたような。


 ジーン・リースは植民地の先住民の地を引くクレオールだ。イギリス人作家と言うことになっているらしい。作品の中でよくイングランド人を批判する言葉が出てくる。収録順は発表された年代に沿っているのだろうか。後半の作品が素晴らしくて解説に描かれるリースの人生とリンクするところも多い。

 作品集の中にはたびたび人付き合いの不器用な女が描かれる。善良過ぎたり、抜け目なさすぎたり。なぜか余計なことを言ってしまって相手を怒らせたり、酔っぱらって失敗したり。

 表題作にもなっている『あいつらにはジャズって呼ばせておけ』(原題:Let them call it Jazz)がめちゃくちゃいい。このタイトルに惹かれて短編集を読みはじめた。「捨ておけ」みたいな時代劇の悪人が復讐の萌芽を摘み取り損ねたときのようなセリフ。疎外される側が「放っておけば」って放つ言葉のその強度。私はかつてのロックが好きでパンクが好きでEDMが好きで、カテゴライズに収まる前の『意味』の息吹の形、生まれたての哲学書みたいな、誰にも読み解かれず解釈される前の言葉の初々しさ。「裏書はどうぞ勝手に書いて」みたいな投げ遣りさがすごく好きで、『あいつらにはジャズって呼ばせておけ』も予想通りリースの中のジャズの胎動をとらえた作品だった。ジャズって呼びたいならそう呼べばいい。私はここ。I'm here

 短編集に収録されている作品のうち、はじめの数作品は不幸なテイストのものが多い。リースの不遇だった時代を象徴しているのだろうか。パリでマヌカンの仕事をしている女の子。シェアハウスの人間関係に失敗して古巣に帰る女の子。急がないと。だって若さは永遠じゃないから。刑務所に収監されているアラブ人のキリスト。キリストは死んだ。日常に忍び寄る戦争の足音。老いとともに失われていく美貌と健康。『機械の外側で』はほんとうに美しい短編だった。同室の女の自殺企図を口汚く罵るイングランドの淑女たち。「こどもがいるのに愚かだ」「自ら命を絶とうとするなんて」思わず声を荒げて女を庇う。マシンの一部みたいな看護師や医師たち。手術の後、思うように体力が回復しないまま、機械の外側に寄る辺なく放り出される。所持金はなく絶望して命を絶つ寸前、隣のベッドの女に救われる。

 いろいろな女が描かれている。虚飾に身をやつす女。おしゃべりで軽薄な上流階級の女。年老いて病に侵された女。死んでいく女。ありとあらゆる年代・出身・階級の女。男はほんの添え物だ。日本人の男も出てくる。

 どこに行っても馴染めない。帰る場所がない。うまく人付き合いができない。誤解ばかりうける。作品が理解されない。ステージに立てば失敗する。歌を歌うことすら。上品な人たちが住む町ではリズムに合わせて体を揺らして歌うことすら許されない。ドゥルーズが主婦が音楽を鳴らすのは領土を主張するためだとかって言っていたっけ――――― ルースの描く女たちは賢くて愚かで病んでいて気高い。愛とか恋とかではなく生殖や金や病が現実を覆いつくしていく。いつでも手の届くところにあるのは、酒と孤独と罪と薬。

 最後の短編の三章にルースの故郷が描かれている。何とも言えない静かで美しい短編だった。若くて美しい女はどこにでも行ける。でも結局それは美しい羽の鳥を持ち帰るのとどこが違うのだろうか。ルースの描く女たちは羽根を折られて、怪我をしてどこにも行けない。どこかに行くことが目的の旅ではないのなら。私たちは時間も空間も超えてどこにでも行ける。そう信じることが生きながらえるただ一つの呪文だったなら。

 どこにも行く必要なんてない。そう言って笑えるようになるのはたいていほとんどのものを失った後で、人生はただ生きるには長く何かを知るには短すぎるけれど。

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