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大きくて聡明な金魚ここに眠る

 魚が好きだった。魚の種類とか外見が好きというよりも、水槽や池で泳いでいる魚を見るのが好きだった。たとえば駄菓子や神社の池にいる金魚。
 赤い背中を眺めているだけで、一時間は過ごせる。

 夫の生まれた家には池があった。以前は本格的に鯉を飼っていたらしく、家の中には品評会のメダルや盾が残っている。震災以降ポンプが壊れてしまい、直していないらしい。

 庭に水場があると蚊が沸く。ボウフラ対策に金魚を飼いたい、と言うと夫がペットショップで買ってきてくれた。

 金魚を飼ったのは二度目だった。結婚して一年目に、金魚鉢と金魚を用意したのだが、水が合わなかったのか、短期間で死んでしまった。ポンプを入れなかったから、悪かったのかもしれない。それ以来避けていたのだが、でもやっぱり、池が寂しい。

 夫はペットという概念に懐疑的だ。ペットとの主従関係は人間のエゴだと断じている。猫や犬などもってのほか。だから金魚も反対されるのではないかと思っていた。でも私の心配ははずれて、池に十匹の小金を飼って放してくれた。その後定期的に十匹ずつ金魚を飼ってきてくれる。ペットを飼ってもいいのは金魚まで、ということらしかった。私はそれで満足だった。金魚は涼やかでかわいらしい。ところがだ。
 怪鳥。町田康の短編に出てくる不吉な鳥を思い出す、早朝屋根の上に響く不快な音。鳥の脚が瓦をひっかく音がする。不気味だ。鳥は朝早く、人気のない時間にやってきて、飛び立っていく。その度に金魚が一匹、二匹、あるときには一気に五匹と、減るのだった。

 サギ。
 怪鳥の正体はアオサギだった。めちゃくちゃでかい。翼を広げたら一mは超えるのではないか。食われているのである。金魚はたびたび全滅した。全滅するごとに、夫は金魚を買い足す。
「だめ、池の環境を変えるかしないと、また食べられてしまう」
 私は止めた。しかし一度習慣になったことをやめるのが、たぶん夫には難しい。夏の終わりに金魚が値引きされる→買う。と結びついてしまったのだと思う。夏の終わりになると金魚が増える。サギもそれを覚えていて、定期的に上空に偵察に来る。完全にえさ場として認識されている。池に放たれたばかりの金魚は経験も少なく、すぐに食べられてしまう。養殖場で大事に育てられた金魚は、外敵の脅威を知らない。

 私は、夏の終わりに生き残った金魚たちに、次の年繁殖してもらうことを期待していた。この池で生まれ育った金魚なら、生き抜くことができるかもしれない。だからなんとしても金魚の新規投入を防ぎたかった。しかしそれが難しいのである。

 夫は真面目だ。真面目でよい人間だ。しかしその真面目さの一端を容易な「行動強化の結果」が担っているとは思っていなかったし、なんなら「新しい行動の記憶、指針の書き換え」の困難が潜んでいるとも思っていなかった。私はやきもきしながらサギを見張る。ときには追い払ったりもする。しかしサギは私のことなど怖くないのだろう。悠々とよそ様の家の屋根に飛びあがり、あの、感情の読めない丸い小さな目で、じっと池を見つめている。

 サギは根気強く、彼らが狩りをする様子はハシビロコウを思い起こさせた。じっと息を殺し、水面を見つめている。


 毎年冬になると「今回も全滅か」と悲しくなる。しかし実は二、三匹の金魚が池の水に潜んでいるらしかった。初代のほうの金魚、古株がおり、彼女は賢く素早かった。彼女のあとをついて泳ぐ金魚は、いつも生き延びることができる。

 池を眺めていると、なるほどと思った。異変を察知すると、いち早く彼女が泥に潜る。周りの金魚もそれを真似る。サギが諦めて去るまで、彼らは水の中でじっと息を殺しているのだ。

 私は鳥が池に入りづらいよう、刈った竹を池に渡した。見た目は悪いが仕方ない。生き延びてほしい。そのうち夫も金魚を買ってくるのをやめた。サギは相変わらず池に来る。しかし餌が少ないことを学習したのか、短時間で飛び立ってくれるようになった。ほかにもっといい餌場があるのだろう。

 気がつくと、賢い金魚は巨大な金魚になっていた。腹周りが五倍くらいになった。ほんとうに金魚か? 肥った体を泳ぎにくそうにひねらせている。最近泳ぐときにすこし傾いているのが気になっていた。しばらく彼女はひとりだったのだが、去年また十匹入れて、生き残った二匹が元気そうだ。彼女が彼らの命を護ってくれたと言っても過言ではない。

 中には縄張り意識の強い金魚もおり、新参者をいじめたりする。彼女はそういうことはしない。ひとりが長かったせいか(周りの金魚はみんな食われてしまった)マイペースに、悠々と泳ぐのが好きだ。

 彼女はたぶん、はじめの方に買った姉金の生き残りなのだ。大きなオスがもう二匹生き残っていたのだが、彼らもいなくなってしまった。一番慎重で物静かだったメスの金魚だけが、生き残った。

 姉金が三匹生き残った年、それは金魚を飼い始めて二年目のことだったのだけど、初夏の池では彼らが卵を産み、稚魚が孵化していた。
 そのころ池で一番大きかったのは、立派なオスの金魚だった。彼もすばしっこく、賢い金魚だった。ただ少し大胆な性格をしていた。ある秋ついに食べられてしまったのか、彼の姿を見ることは出来なくなってしまった。


 大きく育ったメスの金魚。びっくりするくらい大きかった。今まで飼った金魚のどれより大きくなった。体長三十センチほど、体の太さは大きな桃くらい。
 去年の生き残りのオスと激しく泳いでいたのが、今年の春のことだ。恋の季節だった。たまごが無事に孵るといいなと思った。
 それが昨日、池にぽっかり浮かんでいた。

 金魚が死んでしまった。多くの金魚を生存に導いた、とても賢い臆病な金魚だった。大きくて立派な金魚だった。賢いあの子はもういないのだ、と思うと寂しくて、涙が出た。
 自分でも意外なほど悲しかった。

 地面を掘って庭に埋めた。木の根元がわかりやすくて、誰にも踏まれなくていいかな、と思ったけど、根がみっしりつまっていて、とても掘り返せなかった。わきの方を小さく掘り返して金魚の体を横たえ、上からやわらかい落ち葉や土をかぶせて、ミントの花を添えた。今の時期、うちの庭には緑ばかりで花がない。寂しいお墓だ。
 なにかわかりやすい墓標を立てたいなぁ。子供のころはアイスの棒とか、お気に入りだったままごと用のフライパンなんかを立てていたけど。夏の間にかっこいい石を拾ってきて、墓標にしたいと思う。

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