塗り潰される前に

2022年が始まって早々、我が家にはトラブルが数多く乱入してきた。特に困ったのは、我が家を暖める全自動ストーブの故障と、私が抱く殺人衝動の激化である。
ストーブは修理すれば済むが、人心は早々に修理できない。
まだ良心と自制心が働く内に、精神障害の相談施設を頼ってみた。
なお、事前に申し上げておくが、私はこの場で施設の優劣を述べたり、批判したりするつもりはない。幾つかの施設は、電話窓口がいつまでも電話中であり、本日に精神福祉関係者が逼迫していた可能性は拭い去れない。また、コロナ禍などの社会情勢も相俟って、担当者が軒並み疲弊しているとも強く感じた。更には、向精神薬と同じく、担当者とウマが合わずに相談の効果が出ない危険性も孕んでいる。一概に、この施設はダメだと断言できないし、しては失礼に当たると思う。
今日は幾つかの相談施設を巡った。
まず、古参の障害者相談施設の女史に(半ば呼び出されて)相談を開始した。しかし、名うての就労ワーカーでもある女史は珍しく、終始「逃げ」の会話を打ってきた。世間話、気象と精神異常の関連、両親の仲、上司の体調不良などなど。私の殺人衝動には一切触れることなく、最後には、「過去を反省しても、後悔してはならない」と警句を発した上で、「次の仕事が入っているので」相談を打ち切られた。てっきり殺人衝動の分析と抑制を話し合うと思っていただけに、私は呆然としてしまった。一体、私は何用で呼ばれたのだろうか。感情を取り戻す為、近くの障害者喫茶店でコーンポタージュを飲み干した。
帰宅した後もトラブルが続く。父の通院を送迎する約束が迫っていた。この送迎がクセモノで、通院だけでは済まず、大抵、父の要望を延々と押し付けられる破目になる。100円ショップ、話題の飲食店、段ボールと古紙とペットボトルの廃品回収、灯油の補充、などなど要望は多岐に渡る。銀行で通帳記帳をした日には、何故か私の通帳まで父に監視され、「この出費は何だ」「残高が少な過ぎるのでこれでは生活できない」と助手席で小言を述べられる。通行する自転車を轢きそうになったのは一度や二度ではない。
母は母で、昨今の私の変化を理解していながら、対策が突飛(クレイジー)であった。殺人衝動が起こるのは某寺の呪詛に依るものなので、某寺に今すぐ電話しなさいと真顔で言うのである。そのお寺は呪詛などしないと思うし、仮に呪詛していたとして、電話でそれを認めるとも思えない。あまり現実的な解決策を出してくれないのが、母の欠点である。
私は悲観して、スマホに「自殺 殺人」と入力し、藁にもすがる想いで国の相談センターに電話した。すると、何故か県の保健センターに繋がった。疲れ果てた男性が出たので、私は戦慄した。
県の方は、私が精神不安定で、灯油と刃物を備えていると伝えるや、相談を放り出し、すぐに入院手続きを取るよう勧めてきた。こちらは相談をしたいのだが、入院一点張りのまま市の保健士に丸投げし、電話を切られた。
その後、しばらくして、市の保健士の女性から電話があった。何でも、「エリア担当の保険士が不在だが、私のことを過去の相談で知っていて、越権行為を覚悟で特別に電話」してくれたらしい。ありがたい反面、そこまで福祉行政の現場が逼迫しているのかとも恐怖した。
私と面識のあるこの保健士の方が、軽くではあるが相談を引き受けてくれたので、私の不安はだいぶ解消された。県からの入院手続きの要請も取り下げられ、明日に詳細な相談日を定める形でまとまった。私の願いはようやく満たされた。ただ、悲しいことに、父が通院の出発時間を告げて1階で不貞寝し始めたので、途中で電話を切らざるを得なかった。
父の通院(とその他諸々)を終えたら夜だった。疲れ果てて寝床に入るが、殺人衝動は止まらない。どうやら、思考が侵食され、真っ当な空想や妄想までが殺人衝動に擦り替えられている様である。これには困った。甘い物を食べて気分転換を図り、それでも不十分なので、こうして日記めいた内容を書き殴っている次第である。
自分の思考が塗り潰される前に、出来る限りの事をしておきたい。

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