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地域の課題は本当に課題なのか。

僕が埼玉県の横瀬町にUターンして3年半が経ちました。

これまで、いわゆる「地域文脈」になるような活動をしてきているなと思いつつ、実は途中から「地域の課題を解決しよう」というアプローチをしていなかったりします
(地域課題解決のワークショップみたいなのも一切やらなくなったし、参加もしなくなった)


実はUターンしてすぐの頃、秩父地域の課題を解決したい!と、あれやこれや奮闘してみようと動いたのですが、ほとんど形にできなかった経験があります。

ただ、ある時から「課題を解決する」という考えを捨てて、「どうしたら自分の周りの人が幸せになるか」とか「面白いことを形にするにはどうしたらいいか」に基づいて行動するようになったら、不思議なことに面白い仲間も場所も機会もどんどん集まるようになりました。

それが結果的にコミュニティスペースの「area898」となったり、イベントの「川とサウナ」になったり。

振り返ってみれば、これらは関係人口作りにもなるし、移住者誘致にもなるわけで、意図せず地域課題解決につながるコミュニティに発展していったなと後から思うわけです。


どうして「課題を解決しよう」というアプローチだとうまくいかないのかってことを最近考えてたのですが、多くの人が地域課題を“実は課題に感じていない”のだと思っています。

だって、人口が減ろうが商店街が過疎化しようが、実は自分の生活にはそれほど影響なかったりするじゃないですか。「課題」って誰かが言っているだけで、本当に自分の生活を逼迫するような課題でなければ、解決にもそんなに本気になれない。それが、課題解決アプローチがうまくいかない根本なんだと思います。

それこそ、首長が「人口が減っている」のを課題と捉えるのは正しいのですが、イチ住民が捉える課題としてはあまりにも大きいなと。もちろん、全員が自分ごとになって、こうした大きな課題解決をすることは大事ですが、おそらく山の頂上をみてそういうことを考えるんじゃなく、一人ひとりの足下をしっかり見て、自分の周りをいかに良い環境にするか、幸せにしていくか、それだけに集中していけばいいんだと思います。

それが積み重なると、結果論として地域の課題解決になるんじゃないかなと。


自分の立場と捉える課題のレイヤーを合わせるのは本当に重要です。「地域の課題を解決すること」は聞こえはいいですが、あまりにも上位レイヤーの課題です。

それよりも、家族を幸せにしたり、自分が働くことで誰かの役にたつ。そんなことを粛々と積み上げていけばいいんじゃないかなと思いました。

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