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バ美肉勢・女体アバターに関する話題への個人的な見解

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疑似恋愛・疑似性愛について

 バーチャルアバター技術を用いた疑似恋愛的なコミュニケーションであったり、疑似性接触系のサービスが発展することについて俺自身はネガティブな感情を抱いてはいませんし、日本語web上における技術の発展の流れとしては妥当であろうと思っています。

 一方でwebメディアなどにおいてバ美肉勢による疑似恋愛・疑似性接触的な活動に関するニュースが報じられると「ネカマが~」「中身おっさん同士で~」と茶々を入れに来る層が稀に観測されますが、
「リアル男が女体アバターを用いていればその時点でネカマ」的な認識から脱却できていない層の存在だけならまだしも、むしろ女体アバターを用いる側の一部が積極的にそういった認識に乗っかっている、といった状況については微妙な心持ちではあります。一番有害なのは単にそういったムーブメントを「キモい」と嘲笑したいだけの層であるということに変わりはないのですが。

「先天的女性Vは努力していない」?

 「中身が先天的女性のVはより少ない努力で多くの他者からちやほやされている」といった見解、あるいはそれに対する反論として「バ美肉勢は(先天的女性Vに比べて)自分たちだけが努力していると思っている」などといった不毛なマウント合戦が何やらあったらしい、ということについて。

先天的女性Vが何の努力もしていないということはまずありえないにせよ、先天的女性であることがインターネット承認獲得バトルにおいて圧倒的有利なのは明らかなので、それについて非先天的女性である人々が羨望なり嫉妬なりを抱くことについては無理はなかろうし、「そのような『差』など幻想である」とは言い切れないと感じます。

 ただ先に挙げたような双方への批判的言及については、まず努力量マウントは不毛だからやめろ、というところに加えてこれも結局は生まれ持った身体的性という努力では変えようのない部分の問題のほうが大きいので視点としては正しくないのではないかと思っています。

 再三言っているように、俺は先天的な身体性別によらず誰しも両性のいいとこ取りができるようなアバター社会が到来してほしいと思っています。
先天的性別の価値などというものが意味を成さなくなる、までいくと正直なところ俺が生きている間には無理じゃね?と考えもするのですが、その意味が希薄化していけば先天的男性性を一種の「原罪」のように扱ったり人類の約半分もいる先天的男性に対して覆すことのできない「加害性」なるものを勝手に背負わせる人々の価値観に曝され苦しめられることもより少なくなるでしょうし。

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