記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

薊詩乃のカルナマゴス・レビュー【初恋ハラスメント】

《カルナマゴスの遺言》とは、クトゥルフ神話体系に組み込まれた魔導書である。
その中に記されたとある一節を読むだけで、邪神が降臨し、読んだ者の背骨を捻じ曲げるという。

この「薊詩乃のカルナマゴス・レビュー」とは、「読んだ人は背骨が捻じ曲がって死んでいるので何を書いても関係ないだろう」というスタンスで、主に関西小劇場界の劇評レビューをしていくものである。

だが第一回目はドラマのレビューなのである。

※筆者である薊詩乃は自劇団の脚本・演出をやっていますが、まだ何者でもありません。自身の勉強のために、レビューという方法で分析をしていこうとする試みです。
※作品のネタバレを大いに含みます。

注意事項


では喰らえ。


エクスクロピオス・クァチル・ウタウス



はじめに

第一回目となる今回は、中京テレビ制作『初恋ハラスメント』である。
※筆者はTVerで視聴した。

注意:2024年4月1日現在、ホームページがえらいことになっている。


憧れの先輩 春太(小宮璃央)への想いを伝えられれぬまま、
卒業を見送った夏希(吉田伶香)
その数年後に運命の再開を果たした二人、初恋が再び動き出す、かと思いきや…!
夏樹が目にしたのは…地獄のパワハラ上司と化した春太だった!
甘酸っぱくて、ちょっと社会派!?
中京テレビが送る新しい形の恋愛ドラマ!

「初恋ハラスメント」公式ホームページより引用(2024/3/31 18時現在)

本作は「令和・恋ドラシナリオコンクール」の受賞作であるらしい。

私は恋愛ものが得意ではない。それなのにこの作品を視聴しようと思ったきっかけは、SNSで話題になっていたからである。

要約すると、予告映像やあらすじから、「これは恋愛ドラマのフリをしたホラーではないか」という憶測が飛び交っていたのだ。先に引用したあらすじにも誤字が多いことに気付けるだろう。

『このテープもってないですか?』『祓除』(ともにテレビ東京)などの影響で、この種のホラーにハマっていた私は、この作品にも興味を持ったのである。

次章から、ネタバレを含んだレビューを行なっていくが、先に作品を鑑賞しておくことを推奨する。




構造やシステムについて

突然なんか始まった──事前番組

あーーーーーーうーーーん、なるほどなあ

開始1分の感想がこれである。TVerでこの作品を検索し、CM後、本編が開始したと思ったら、急に事前番組が始まった。

そのとき、これはモキュメンタリー(フェイクドキュメンタリー)なのだと理解した。

だがそれにしては棒読みなのが気になった。
特に、春太役をつとめる小宮氏の態度が台本過ぎるのだ。

だが、クランクアップの場面や事前番組終盤の様子を見ると、なんとなく理解できる気もする。

事前番組では、ドキュメンタリーとして、撮影現場に密着した様子が描写される。
その中で、助監督の菅沼氏に対し、夏希役の吉田氏や監督がハラスメントを行なっている場面が流れる。

クランクアップ時には菅沼氏の姿が見えなかったので、そのハラスメントの結果が良からぬことになったと推測できる。

小宮氏はそれを快く思っていないのだろう。そして、現場ではそれを口に出すことができなかったに相違ない。
だから、事前番組では台本を読んでいるかのようなたどたどしい態度になっていた、と結論付けることはできる。

そういうわけで、棒読みも「許す」ということにしよう。
ただ、ドキュメンタリー時の吉田氏が明らかに台本を読んでいたことは「許さん」。
この作品における彼女は無自覚な加害者側だからだ。

モキュメンタリー→本編 という構造

モキュメンタリーとしての事前番組のあとに本編がある、という構造は、テレビ東京『祓除』でも見られた。ちなみに『祓除』は、事前番組→本編→事後番組という構造で描かれていた。

『祓除』事前番組では、「祓除の儀」に至る背景や、祓除を担当する人物の紹介などを行なっていた。
『初恋ハラスメント』ほど露骨なホラー要素もなかったように思う。正体不明で、不気味な様子はあったが、その根源は分からないようになっていた。

『初恋ハラスメント』におけるキーポイントは、死者・菅沼の呪いであることが序盤から明確である点にある。

『祓除』などオカルトホラーは、得体の知れない何かの得体の知れなさに恐怖の原点があるが、心霊ホラーである『初恋ハラスメント』は、得体が知れているからこその恐怖を描くものなのだ。

ホラーに登場する多くの霊は、強い恨みを胸に秘めており、その呪いの力が精神的な攻撃となって登場人物を襲います。
(中略)
幽霊の願望は、生者の罪を暴くことや復讐することであり、物語には悲しみや苦しみといったドラマティックな要素が盛り込まれます。

株式会社闇 編著『ジャンル特化型 ホラーの扉 八つの恐怖の物語』(p.35-37, 河出書房新社, 2023)

菅沼は、ハラスメントを受けた恨みを、呪いとして返そうとしている。そしてその動機や目的は、視聴者に対して明らかにされている。

明らかにされているからこそ、視聴者は、呪いの根源である菅沼に感情移入できる。
しかもそれがドラマ開始時には容易であるので、そういう視点でドラマを観ていくことになるだろう。

さて、菅沼は呪いとして、ドラマ本編に干渉してくる。ドラマの内容についても見ていこう。

ドラマ本編について

脚本面──ドラマそのものについて

ホラーや呪いのことは一旦忘れて、恋愛ドラマとして作品を観ていこう(この鑑賞方法がホラーエンタメとして正しいかどうかはさておき)。

なぜなら、悪い意味で面白いからだ。

まず言えることは、これでは賞は取れないだろということだ。菅沼も、こんなひどい脚本のドラマ撮影で死んでしまっては、浮かばれるものも浮かばれないだろう。

どんどん菅沼が不憫になっていく。菅沼が不憫になるにつれ、我々は菅沼の味方になっていく。

さて脚本について平たく言えば、ありきたりな話だ。
「憧れの先輩がパワハラ上司に!?」とか言っているが、オラオラ系イケメンなんて恋愛物のファンは見飽きているだろうし、「そんなオラオラに悲しき過去……」となるのはもはや必然である。

一応、ストーリー上、パワハラ上司である春太は、優秀な営業マンであるらしい。
その有能さゆえに理想が高く、「指導」のつもりがパワハラになってしまっている系男子として描いているのだと思う。
だが、泥酔した春太のボヤきから、客先や元上司からの理不尽(営業マンとしてはある程度仕方ないのかもしれないが)によるストレス発散のためにパワハラしているようにしか見えなくもない。

さて、そんなオラオラ系イケメンと主人公との間に起こるイベントといえば、「ふーん、おもしれー女」である。すなわち、主人公がイケメンに認められていく展開である。

優秀な営業マンである春太に、主人公 夏希がどのようにして認められていくのだろうか。物語中盤、シナリオの風を変えるための重要なイベントである。序盤に営業チュートリアルもあったし、きっと、営業マンとしての才能を開花させていくのだろう。

「データ入力」

え?

「データ入力」

そう、データ入力なのだ。
スーパー営業マンに認めてもらう行動がデータ入力とは何事か。

夏希の名誉のために付け加えておくが、一応彼女は、3日掛かるはずの仕事を1日で終えている。だから、凄いことは凄い。

さて、そんな春太先輩と夏希だが、物語終盤、春太がパワハラをしていたことを内部告発され、ネットニュースになってしまう。

しかし、彼に恋する夏希は、「何かの間違いです」とか言って、取引先に説明に向かう。
「地獄に落ちろ」
とか日常的に言っていたので、別に間違いではないのだが、恋は盲目である。

取引先の男は、夏希に対して「僕は今夜空いてるけどね」「これがセクハラだとでも言うのか」と、ヤクザの脅迫みたいなセクハラをしてくる。

春太を守るため、取引先との関係を保つため、取引先の要求を呑もうとする夏希。しかしそこに現れたのは──

我らがパワハラ上司 春太である。

夏希を守るために参上したのである。定番の流れ過ぎて、もはや来る前から来ている。
というより扉が開く音とかで気付きそうなものだが、取引先の男は「いつの間に!」ってな顔をしている。

その後、なんやかんやあって夏希はセクハラ野郎を引っ叩き、彼に制裁を加える。引っ叩く胆力があるなら春太が駆けつけた意味がないのだが、それは放っておこう。

帰り道。「社会人として失格ですね」とか言いながらいい感じの空気になった二人(なぜ?)。
夏希は春太に数年越しの想いを伝え、物語は終わる……。

なんだこの話は。

ホラー要素があるからなんとか観ていられる素晴らしい脚本である。
ただ、素の脚本が面白くても、それはそれでノイズになってしまうのだろう。難しいところだ。

では肝腎要、今作のホラー的側面について見ていこう。

ホラー演出

今作のホラー表現は露骨。その一言に尽きる。そんなに露骨にする必要があるのか、というくらいに露骨。
どんどん呪いが強まっていく表現ということは分かるのだが、画質とfpsの良い霊が呪ってくるので、現実味もなければ、呪いらしくもない。

表現技法としては、ジャンプ・スケアと呼ばれる方法が多用されている。急に音が鳴ったり、急に霊が出たりして、観客や視聴者がびっくりするという、アレだ。

突然に三白眼の菅沼が出てくる。「出すぎじゃない?」というくらい頻繁に、かつ神出鬼没に登場してくる。映像や音響にノイズの干渉をするだけに飽き足らず、ちゃんと姿を顕現させられてくる。

映像ではなく空間に出現してしまっているのに、夏希(役の吉田氏)の首を絞めようとしているのにそのままいかなかったのは何故なのだろう。

さて終盤、夏希が取引先のハラスメントに対抗するシーンでは、菅沼が召集したのか、彼以外の霊もどんどん表出していく。

テレビ業界にかかわらず、演技にかかわる世界にはハラスメントが多いのだろう。そしてそのために死んでいった者は、菅沼だけではない。呪いたい者も、菅沼だけではない。

そんな呪いの数々が、画面を塗りつぶしていく。高画質で。

そんなフルHDゴーストは、動きがゴーストというよりゾンビじみているし、クリシェな演技なので、まったくB級ホラーのそれである。

ということで、我々視聴者は、菅沼率いる1920×1080pゾンビの目的と動機を知っているので、彼らに感情移入しつつも、チープだなぁという感想を持たざるを得なくなってしまう。

しかし、このチープなホラーという表現が、この作品の本質なのかもしれない。

考察

すがぬまののろいのせい?

放送前、番組紹介に縦読みが仕込まれていることでも、この作品は話題になっていた。その縦読みとは、

すがぬまののろいのせい

である。

すなわち、やはり、この作品を侵食しているのは、亡くなった助監督 菅沼の呪いなのだろう。そのせいで、チープな恋愛ドラマがチープなホラーに成り下がった、ということだ。

SNSで感想を探してみると、
「呪い方にセンスがない」
「怖くない」
なんて投稿をよく見かける。

そしてその上で、

菅沼の必死の呪いを『怖くない』と一蹴するのも、菅沼に対するハラスメントである。

なんて意見も見かけた。

なるほどそうかもしれない。
繰り返すが、我々は菅沼の呪いについて、その動機と目的を知っている。それを知っているのに、「怖くない」と一蹴することは、彼の想いを踏みにじることに繋がるだろう。

だが本当にそうだろうか。
あのチープなホラーは、本当に菅沼の呪いなのだろうか。

気になるのは、やはり「すがぬまののろいのせい」という縦読みである。

菅沼が呪っていることは間違いないだろう。ドラマの空間に霊としての菅沼が現れていたからだ。

だがそうだとすれば、「すがぬまののろいのせい・・・」と縦読みに仕込むだろうか? 「すがぬまののろい」だけでよいからだ。

「のせい」という文言は、「○○のせいでダメになった」のように、それを責めるような意味を持っているように思われる。

これは推測だが、このドラマは菅沼の呪いのせいでダメになったとして、菅沼が死んでなお菅沼を責める人物がいるのではないだろうか。

そもそも、菅沼によって呪われた映像を放映しなければならない理由はなんだろうか。放送中止にしなかった理由は何だろうか。

菅沼がハラスメントを受けた事実を告発するためではないだろう。そうであるなら「のせい」なんて文言を仕込むはずがない。

目的は、菅沼へのヘイトを溜めることだ。「チープだ」「怖くない」「むしろ笑える」と、視聴者が菅沼の呪いを馬鹿にすればするほど、放映者の溜飲が下がる。

「この作品がつまらないのは脚本のせいではなく、菅沼の呪いのせいなんだぜ」

そんな他責思考を私は読み取った。

さらに推察できることには、チープともいえる露骨な映像表現は、本当に菅沼の呪いなのだろうか、ということだ。

これも私の推測になってしまうのであるが、次のようなストーリーが思い浮かんだ。

撮影を終え、編集した映像を監督が確認すると、そこには、空間に現出した菅沼の霊がいた。
監督は思った。「菅沼の呪い」であると。だが、同時に、「無能な菅沼のせいでドラマが放映できなくなるのは許せない」とも思った。
そこで、映像表現にB級ホラーめいた編集を付け足すことにした。そうすれば、菅沼がすべてのホラー演出をしている・・・・・・・・・・・・・・・・・と勘違いしてくれる。
死んでもなお、菅沼は無能だと馬鹿にされる。

これは私の推測だ。
真実は、菅沼しか分からない。

ハラスメントはやめよう

今作は、ハラスメントしている監督や主演がハラスメントを描いた作品を訳知り顔で創作したことに対する恨みについてのモキュメンタリ―・ホラーである。

そんな加害者コンビ、監督と主演の吉田氏の関係もSNSで考察されていた。
「監督とデキているから演技が上手くないけど抜擢された」という考察を見て、私は腑に落ちた。

エコーチェンバーという単語をご存知だろうか。
狭いコミュニティにおいて、同じような意見を目にし続けることによって、その意見が増幅され、あたかもそれが世界のスタンダードであるように感じてしまう、というような意味だ。

演技にかかわる空間も、このエコーチェンバー現象が発生しやすい。「監督」「演出家」といった立場の人間が「上」の人間で、その意見が増幅していく。そこには外部の目がない。

さらに主演が同調したら最悪だ。主演がその加害者とデキていて、さらなる地獄を与えてくるのなら、もっと最悪だ。

菅沼はそんな空間に身を置いていた。

この作品を観た我々にできること、我々がすべきことは、菅沼の呪いを面白がることではない。

「お前も同罪だ」

『初恋ハラスメント』より

という菅沼の台詞で物語が終わったことを忘却してはいけない。

我々は、あらゆるハラスメントを嫌悪し、訣別しなければならない。

大切なのは、批判することcriticize非難することblame違うということだ。

批判はあくまで論理的吟味である。感情に任せてむやみに責め立てることではない。

菅沼がホラー演出を手掛けていたとして、その出来が気に食わないとしても、我々は嘲笑するより早く、「ここがこういう理由でダメだから、じゃあこうしてはどうか」建設的な議論を持ち掛けるべきなのだ。

特にパワーハラスメントは、批判ではなく非難なのだ。
クオリティが高いプレゼンを用意しなければならないことと、クオリティの低さを非難することが、根本的に異なるということを理解しなければならない。

理不尽であることがハラスメントたる理由だ。
我々は論理を愛していく必要がある。感情だって大事だが。

終わりに

この作品はモキュメンタリー・ホラーである。

そうであるから、私は、菅沼についての一連の出来事を現実として捉え、上記のようなレビューを書いた。

だが、現実であると認識しているわけではない。
主演の吉田伶香氏は、決して、無自覚パワハラクソ女ではない
こんなこと、言う必要もないことだ。

テレビ東京プロデューサー大森時生氏は、『このテープもってないですか?』『祓除』などモキュメンタリー・ホラーの作品を近年いくつも手掛けてきた人物だ。私は彼の作品に魅了され、彼の作品ではない今作にも興味を持った。

だから、このような作品が生まれたことは、大森時生氏の活躍と無関係ではないように思われる。この潮流がもっと大きくなれば、どんなにか嬉しいことだろう。

このような作品が増えていくことを望んでいる。
現実と虚構の境界を破壊するような──
恐怖とはやはり、不安や未知からやって来るからだ。

ここでレビューを終える。

では最後にもう一度。


エクスクロピオス・クァチル・ウタウス


2024年4月1日 薊詩乃

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?