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一寸法師が童謡だったら

巖谷小波さん作詞、田村虎蔵さん作曲の「一寸法師」。

みなさんも一度は聴いたことがあるのではないでしょうか。

メロディが愉快でついつい口ずさんでしまう、私のお気に入り唱歌です。


「童謡」といわれることもある「一寸法師」ですが、私はいかにも「唱歌」という印象を受けます。

まず、そのリズムについて。

2拍子でずんずん進むので、かなり強い闘志を感じます。子ども目線の童謡ならばこれほど一点めがけて進みはしないでしょう。寄り道、わき道、まわり道……するものですからね。

(調べると4拍子と書いているものもありましたが、2拍子にしか感じられませんよね……)


次に、話の結末について。

これは御伽草子を曲にしようとした時点で、ということになるかと思います。

一寸法師は最後、大男になりますよね。もう一寸法師でなくなってしまう。

現実の生活を見つめる童謡においては、きっとそんなことは起きない。一寸でなくとも、小さく生まれる人はいるかもしれない。努力をして京へ行くかもしれないし、鬼退治をするかもしれない。

でも、大きくなることはない。童謡の世界ではきっと、一寸法師は生涯小さいままです。


このように、私は一寸法師に強い「唱歌」性を感じます。

名作唱歌が次々と生まれた時代に、一寸法師のお話はよい題材だったのかなぁと思います。

そしてもし現代、一寸人間が努力する歌をつくるとすれば……

一寸であることを自他ともに受け入れて、ありのままで生きる姿が描かれるのかなぁ、などと考えている今日です。

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