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令和6年元旦、清荒神清燈寺の境内にあるろうそく献火やぐらの前に腰のまがった老婆がいた。食い入るようにろうそくに火をつけて献火していた。この老婆の心像風景や願いなどを書いてみました。

老婆の献火

令和6年元旦、清荒神清燈寺の境内に佇む静謐な雰囲気のなか、風情豊かなろうそく献火やぐらの前に、腰を曲げた老婆がひとり黙々と佇んでいた。彼女の姿は、時の重みを背負い込んだように見え、歳月の流れを感じさせる。
老婆はしみじみとした表情で、手に持った小さなろうそくに火を灯し、やぐらに丁寧に差し出した。その光景はまるで、一つ一つのろうそくが彼女の心の奥底に秘めた思いを映し出しているかのようだった。
寒さをしのぐために身を寄せるようにして、老婆は心からの祈りをかたちにしていた。その祈りは、おそらくは家族や友情、そして健康など、日々の営みに対する感謝や祈願が込められていることだろう。背中に刻まれたしわは、彼女が歩んできた長い人生の物語を語っているかのように見え、ろうそくの灯りがそれを優しく照らしていた。
境内には、古い木々が風に揺れ、静けさと厳かな雰囲気が共鳴していた。老婆の影が延びる中、彼女は心の底から湧き上がる思いに耳を傾け、ろうそくの光で照らし出される瞬間に身を委ねていた。
この老婆の心像風景は、歳月の積み重ねがもたらす深い感慨と、喜びと哀しみが入り混じった人生の折り返し地点に立っているような情緒的なものだった。彼女がそこに立つことで、過去と未来が交錯する瞬間が生まれ、それが彼女の願いや祈りとして、ろうそくの灯りによって宇宙に届いていくのだろう。
清荒神清燈寺の境内に佇む老婆の姿は、時折風に吹かれながらも、ひたすらに心を込めて献火を続けていた。その光景は、生命のはかなさと美しさ、そして人間の深いつながりを感じさせ、新しい年のはじまりにふさわしい神聖な瞬間となっていた。

azabu11studio


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