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吉見百穴子飯

よく行く魚屋で穴子を購入。今が旬なのでよく見かける。梅雨穴子は淡白な味わい。広島名物の穴子めしっぽい物を作りながら、日本のカッパドキアを妄想した記録。


材料

穴子   2尾
出汁つゆ 1カップ(2倍濃縮)
蜂蜜   小匙1
醤油   大匙2
味醂   大匙2
酒    大匙2
ご飯   好きなだけ

埼玉県比企郡吉見町に奇妙な遺跡。吉見百穴。
地元では「ひゃっけつ」ではなく「ひゃくあな」と呼んでいます。
小高い丘の斜面に無数の横穴。動画をどうぞ。↓

百穴といいますが、実は現存する穴の数は219。
第二次世界大戦末期、ここの地下に飛行機の部品工場を作る計画があり、その工事で幾つかの横穴は破壊。
完成直後に終戦を迎えて、工場が本格的に稼働することはありませんでした。以前は工場跡も見学出来たそうですが、残念ながら現在は崩落の恐れがあるということから立ち入り禁止となっています。
ただ、工場跡以外の横穴は有料公開されています。
古墳時代末期の遺跡ですが、発掘調査が行われた明治二十年(1887)当時、何のためにこうした横穴が作られたのかを巡って論争。
何しろ、古墳時代といえば6世紀とか7世紀。その頃の日本を正確に記している歴史書は存在せず。国内は勿論、近隣諸国、例えば中国の史書等にも日本の様子は書かれておらず、文献的には空白の時代。


穴子を捌く。内臓を取って開く。

発掘調査を主導した学生、坪井正五郎はこれらの横穴を住居と考えた。
現地に行ってみるとわかるのですが、実際の穴は小さく、奥行きもあまりない。人が住むには適さないと思われます。
しかし坪井が主張したのは、これらの穴はコロボックルの住居であるという説。
コロボックルというのはアイヌの伝説に登場する小人で、アイヌ語で蕗の下の人という意味。
坪井正五郎は東京帝国大学の学生で、弥生式土器の発見者の一人でもある、考古学会では名の知られた人物。そんな人が伝説めいた種族の存在を主張するとは奇妙。


調味料をすべて混ぜ合わせて沸騰させる。味醂のアルコールを飛ばすため。

坪井と共に弥生式土器の共同発見者となった白井光太郎は坪井に反論。
百穴は墓であると主張。
コロボックルの存在が確認出来ないというのが第一ですが、百穴が作られたと推定される時期には、薄葬令が出されていたので巨大な古墳ではなく、こうした横穴墓が作られるようになったと思われる。
穴からは副葬品と思しき装飾品とかが発掘され、また現在はすべて開口していますが、調査が行われた時にはすべて石の蓋がされて塞がれていたそうです。墓だとすれば、蓋されているのも頷ける。それに全国でも同じような横穴が発見されたことから、これはこうした形式の集合墓なのでという説が主流となっていきました。
大分県宇佐市にも同じような横穴墓があるのを見たことがあります。


適当な長さに切った穴子を投入。再沸騰後、弱火で5分、煮る。

坪井正五郎は文久三年(1863)蘭方医の家に生まれた人物。考古学者というよりも人類学の先駆者という一面があるようで、コロボックルの実在を主張。日本の石器時代人がコロボックルだと主張していました。
だからこそ、吉見百穴を見た時には自説を証明出来る住居跡がついに現れたと心が躍ったことでしょう。
大正二年(1913)に坪井が死去すると、コロボックル住居説は尻すぼみに消えていき、百穴は墓であるという説がほぼ決定的となり、大正十二年(1923)には国の史跡に指定。
されたにも関わらず、戦時中には軍需工場建設のために一部が破壊。戦争という時代を生き抜くためには、古代の人々の営みの跡などは気にしていられなかったということか。

ここの地主であり、発掘に協力した大澤家の方々は遺跡側で売店を経営されていて、発掘品なども展示されています。先述した横穴の蓋も展示。
二百以上もあった横穴、当然、蓋の数も二百以上あった筈ですが、発掘調査のために外された際、協力した地元の人々が持って帰ってしまったそうです。今では考えられない話ですが、当時は肝心なのは横穴なので蓋はあくまでも付属品なので必要ないという意識だったのか?


吉見百穴子飯

適当な長さに切った穴子をご飯に乗せて、煮汁をかけて頂く。
穴子は低脂肪、低カロリー、それでいて高タンパク。ビタミンAやEも豊富。
活性酸素を除去するセレンというミネラルも含まれる。強い抗酸化作用が期待出来ます。
濃いタレが淡白な穴子をしっかりと包み込み、ご飯が進む。

吉見百穴のすぐ隣には松山城という戦国時代の山城跡。↓

難攻不落として知られた山城で、武田、北条連合軍がこの城を攻めた時、すぐ横の百穴を見て、トンネルを掘って城の内部に入って攻撃するという作戦を考えたと言われます。
この辺りの地質は硬い岩盤で崩落しにくいらしく、そのために百穴も多くが崩れずに残っていたのかと思われます。
それなのに軍需工場跡地が崩落の恐れありとして立ち入り禁止なのはちょっと疑問?
また、もう一つの見どころとして、洞窟ホテル?なる奇妙なオブジェが城跡の崖にあります。機会があればどうぞお越しください。

古代、土蜘蛛と呼ばれる妖怪?の話が日本にはあります。駆逐された先住民が妖怪のように言われて排斥していったものと私は思います。坪井が主張していたコロボックルというのもそれに近い存在だった?
巨人の伝説があるのですから、逆に小人もいたのではないかと思います。坪井が主張したように、小人の住処だったとしたら、正にコロボックルのマンション?
一般的には墓ということが定説となっている吉見百穴、そしてコロボックルなる存在の真偽を妄想しながら、吉見百穴子飯をご馳走様でした。

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