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金目鯛から連想する江川

行きつけの魚屋に見事な金目鯛。
丸く大きな目が印象に残る。
買うことにしましたが、鯛の骨は硬いので、私には下ろすのが大変。ということで切り身に。これを煮付けよう。


材料

金目鯛 2切れ
葱   1本
生姜  1欠け
醤油  20ml
酒   50ml
味醂  20ml

フジテレビ等がある、東京のお台場。ここは元々、砲台がある場所ということから、そう呼ばれるように。砲台場、台場、お台場ということです。
幕末、江戸湾に外国船が入ってこれないように大砲を据えて睨みを効かせた場所。幾つか残っている人工島が台場跡。
それら台場を作ったのは、江川太郎左右衛門。
この人物の肖像画、目がやたらに大きく描かれています。昔の少女漫画かってなもんです。顔の1/3位が目。その大きな目が金目鯛を連想させるということで、江川太郎左衛門を妄想しながら料理開始。


葱を7センチ位に切り、生姜は細切り。

江川太郎左衛門という名前は世襲。伊豆韮山を鎌倉時代から支配していた一族で、江戸時代には韮山の代官を勤めていました。これから妄想する太郎左衛門は三十六代目の英龍。
享和元年(1801)に江川家に生まれた次男でしたが、兄の早世により家督相続。文武に優れ、剣は岡田十松から神道無念流を学び、同門の友人には斎藤弥九郎。後に高杉晋作や武市半平太の師となる剣客です。
英龍が生きた時代は所謂幕末動乱期より少し前、日本の近海に外国船がチラチラ姿を見せ始めていました。
このことに危機感を募らせた英龍、海防を強く意識するようになり、海を守るのは大砲ということから、高島流砲術を学ぶ。


金目鯛の皮目に切り込み。

その延長線上にお台場の設計、築造があるということです。
そう考えると、正に先見の明があったというべき人物。
また、大砲を国産で作るために反射炉を韮山に建設。
大砲の砲身はかなり厚く硬い鉄を使わねばならず、高温で金属を溶解させる必要があり、反射炉はそのための装置。
すごい所は、鎖国していたので外国から技術者を呼べる筈もないので、文献を頼りに建設を進めたこと。残念ながら英龍が生きている間には完成しませんでしたが、その子が引き継いで完成。


沸騰した湯を金目鯛に掛ける。ぬめりと生臭さを取るため。湯霜と呼ばれる技法。

英龍が守ろうとしていたのは日本国は勿論、韮山の民達もでした。
代官になると、二宮尊徳を招き、農地改良を依頼。

二宮金次郎像。

最近はあまり見られなくなりましたが、昔の小学校にはよくこの銅像があったものです。二宮尊徳、つまり金次郎の銅像。
働きながら勉学に励んだ姿を写した少年期の銅像。だというのに、歩きスマホの元祖みたいでよくない等と馬鹿馬鹿しいケチをつける人もいるように聞きます。
長じて農政家となった二宮尊徳、新田開発、開拓等で多くの農村を再建させた人物。招聘された韮山の農地改良にも尽力。
また、当時は珍しかった種痘をいち早く導入。領民達に安心して接種を勧めるために、自分の息子にまず接種させたとか。
こうした施策から、世直し江川大明神と呼ばれました。


金目鯛、葱、生姜、調味料を圧力鍋に入れて加圧。

江川英龍の功績はまだあります。
非常食として重宝される乾パン。これを最初に焼いたのが英龍。
このことから、彼はパン祖とも呼ばれています。
体育の授業や全校集会で使われる号令、
「気を付け」とか「右向け右」「前へ倣え」等ですが、これも英龍の考案。
西洋式の軍事教練を参考にした?
江戸時代、戦は武士がやることと決まっていましたが、英龍は農兵隊の創設を考えていました。これも西洋の国民皆兵や徴兵を導入しようという試み?
身分に捉われない軍隊という意味では、高杉晋作の奇兵隊の先駆けとも言えます。


金目鯛から連想する江川

酒を多めに入れたことから、いい風味。煮くたれた葱にもしっかりと汁が沁み込んでいる。金目鯛も柔らかく煮えて、骨離れもいい。砂糖などは入れずとも甘味がしっかりと感じられる煮物に仕上がりました。

江川英龍、韮山に塾を開きました。自身が会得した高島流、そして西洋流砲術を加えた砲術を後進に伝授するため。
ここに集ったのが佐久間象山や大鳥圭介、桂小五郎の姿もありました。
やがて、彼が危惧していた通り、海防問題が現実化。ペリー来航です。
最初の来航の後、台場の築造を急がせ、翌年にペリーが来た時には三つの台場が完成していたため、黒船は江戸湾の奥へは入れず、横浜から上陸せざるを得なくなりました。立派に役割を果たしたことになります。

危惧していた海防問題が顕在化した、国難という時期、江川太郎左衛門英龍は老中、阿部正弘に重用され、激務に晒されることに。
二度目のペリー来航の翌年、勘定奉行に昇進間際に55歳で江川英龍は死去。

韮山にある江川邸を訪れたことがあります。結構な広さの住宅で、1600年頃に建てられ、一度も火災に遭うことなく受け継がれてきたという貴重な屋敷。
昔、ドラマ『仁』の撮影にも使われたそうです。

ペリー来航から始まった幕末、その先駆けというべき地ならしを行った江川太郎左衛門英龍を妄想しながら、金目鯛から連想する江川をご馳走様でした。

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