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カムヤマトトロロイモの命


令和五年、西暦2023年である今年は皇紀二千六百八十三年。といっても、今の日本人には何のことやらでしょう。
皇紀という暦の起点になっているのは今の皇室の祖、神武天皇が即位した年。神武天皇という名前は後世に呼ばれた漢風諡号。
カミヤマトイワレヒコの命こと神武天皇を妄想しながら、大和芋を料理した記録。


材料

大和芋   1本
オクラ   1パック
出汁つゆ  好きなだけ
白すり胡麻 好き放題

漢字で書くと、神日本磐余彦天皇。別名、彦火火出見(ヒコホホデミ)が初代天皇となった人物。
天照大神から数えて五世。
祖父が山幸彦こと火遠理命(ホオリノミコト)父がウガヤフキアエズノミコト。
日向を治めていた一族に生まれたイワレヒコ、15歳で太子となり、後に即位。
45歳の時にこの日本国すべてを治めるべく東に向けて船を出す。
現代でさえ、この年齢になると守りに入りそうなものですが、遠く古代の人でありながら、新たな天地を求めて船出。

ガクを落としたオクラを塩を振ったまな板の上で擦る。産毛を取るため。

摂津、つまり大阪辺りから本州に上陸。ここでイワレヒコ一行の前に立ちふさがったのが大和の豪族、ナガスネヒコ。
戦いになるが、どうしても勝てない。
どうやら、これは太陽神の子孫なのに日が昇る方角、東に向かって戦っているので神の加護が得られないからと悟り、退却。またも船に乗り、紀伊半島を南下して、反対側の熊野に上陸して、そこから西に向かって進軍。
上陸後、天照大神から遣わされた八咫烏に導かれて、道に迷うことなく大和へ向かう。JFAつまり日本フットボール協会のシンボルにもなっている三本足の烏が八咫烏。


大和芋を摺り下ろす。

途中、エウカシとオトウカシという兄弟豪族に出会う。
八咫烏を派遣して従うように告げると、オトウカシはすぐに服従。エウカシは陰謀を巡らす。
御殿を作り、そこにイワレヒコを招いて、そこに仕掛けた罠でイワレヒコ一行を抹殺という計画。
しかし、その計画は事前にバレていました。
「まずはおまえが入れ」と武器で脅して、エウカシを御殿に入れる。その途端に天井落下。エウレカ圧死。つまり釣り天井。


刻んだオクラと摺り下ろした大和芋を混ぜる。

オトウカシの協力を得て、更に西へと進んで行き、行く手を阻むヤソタケルという豪族も討ち、ついにナガスネヒコと雌雄を決する。
ナガスネヒコを破り、大和に入ったイワレヒコ、橿原の地で即位。
カムヤマトイワレヒコノ命と名乗り、初代天皇に。
旧暦の元旦、それを現代の暦に直して2月11日。それが建国記念日。敗戦までは紀元節と呼ばれる重要な国家祭祀の日でした。


出汁つゆと白摺り胡麻投入。混ぜ合わせる。

こうした建国の話、神話に近いことであり、皇紀元年となると客観的には弥生時代位のことになってしまい、有り得ないというのが一般的な見解。
私も神武天皇の事績がすべて真実と言うつもりはありません。しかし、そうした建国の話には何等かの史実の反映がある筈であり、国造りの理念が込められていると考えるべき。
神話を忘れた民族は100年で滅びると言ったのはトインビーだったか。
戦後、日本の教科書から神話や建国の話は一掃。歴史教科書の最初に出てくるのは岩宿遺跡とか先土器文化といった原始の話。勿論、それも大事なことですが、建国の理念や神話をあまりにも蔑ろにしているのではないか。
戦後78年。トインビーの話が本当ならば、日本国滅亡まで後22年しかないということになる。


しっかりと混ざった。

即位して31年後、本州の形が弓なりであり、蜻蛉が交尾する様子に似ているということから、本州を秋津洲と呼ぶように定めたといいます。
古代には交尾を秋津と呼んでいたのか?
高い山の上から見たというのですが、幾ら高くても本州全体を見渡せる山があるか?本州が弓なりになっているということなど、かなりな上空から見ないとわからないと思うのですが?もしかしたらイワレヒコは空を飛べた?


カムヤマトトロロイモの命

たっぷりとご飯にかけて頂く。
大和芋は山芋に比べて水分少な目でもっちりと粘る。オクラで更に粘り倍増。胡麻の風味がよく合う。ご飯が進むことよ。
オクラからビタミンCやカルシウムが頂けます。大和芋の食物繊維やカリウムは高血圧予防や便秘に効果あり。

教科書にも出てくる金印、大概の日本人が御存知かと思います。
福岡の志賀島から発見された古代の遺物で国宝。
神武天皇の話じゃなかったの?と思うかもしれませんが、最後は話が繋がりますから、暫しお付き合いを願います。
「漢委奴国王」と刻まれた金で出来た印鑑。
一般的に印面の文字は「かんのわのなのこくおう」と読むとされています。
後漢の洪武帝が朝貢してきた奴国王に与えた印璽と言われていることから、この読み方が主流。しかし他の読み方もあるという解釈。
「漢のイト国王」とも読める。糸島半島にあった国、伊都国王に贈られたという解釈。
もう一つ、驚くべき解釈として、
「カムヤマト国王」
「委」という文字、「倭」の字の人偏を略したものと考えると、そう読める。つまり神武天皇に贈られた印璽?後漢からも認められた王だった?
更に妄想。
「倭」は人に委ねると読める。鬼に委ねるとなると「魏」
三国志で有名な魏です。世を人に委ねるか鬼に委ねるか。
神から人へと委ねられた王がカムヤマト?
神話や古代はわからないことが多いだけに妄想がどんどん広がる。

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