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ぶり大根藤勇

今が旬な大根、あちこちから頂き、色んな料理に活用。
今回はぶり大根。
普通のぶり大根は砂糖と醤油で煮込み、生姜を入れて臭み消しと風味を付ける。それをアレンジ。

材料

ぶり 二切れ
大根 5センチ位
生姜 1かけ
醤油 大匙1
味醂 大匙1
砂糖 小匙1
昆布 5センチ
八丁味噌 大匙3

そう、味噌味のぶり大根を作ろうという試み。
鯖の味噌煮があるのだから、ぶりの味噌煮もあっていいだろう。魚の臭み消しとしては味噌は濃い方がいいので、濃厚な赤味噌使用。


まずは土鍋に水を張り、出汁取り用に昆布を入れて、その上に皮を剥いて半月切りにした大根。蓋をして着火。
大根は固いので、そして昆布の出汁を染み込ませるために先に火にかけるという訳。
土鍋の蓋には穴が開いているので、蒸気が出始めたら、沸騰の証し。
蓋を開いて、ぶりと千切り生姜投入。

荷崩れないように大根の上に置く。

身が白くなったらひっくり返し、片面も色が変わったら、いよいよ調味料を注入。
ついでに昆布も取り出して、適当な長さに切って再投入。

見事に赤い八丁味噌色。煮汁が減ってくるまで、このまま煮ていく間に、ふと妄想。

八丁味噌を作っている愛知県に、近藤勇の墓があります。
言わずと知れた新選組の局長。
多摩で生まれ育ち、江戸で試衛館という道場を開き、都に上り、新選組の局長として不逞浪士の取り締まりに活躍した近藤勇。
彼の生涯を振り返ると、現代の愛知県、三河に所縁はないように思えます。
有名人に墓が多いのはよくあることですが、実は近藤勇の墓も私が知っているだけでも四か所。
一番わかりやすいのは板橋駅前の墓。YouTubeで御覧頂けます。↓

板橋の墓は新選組の二番組長で明治の世まで生き延びた永倉新八が建立。
更に近藤勇の故郷、多摩の龍源寺にも墓。
これら二つは胴塚。新政府軍によって斬首された近藤勇。首は焼酎に漬けられて都に送られました。胴体は処刑が行われた板橋に埋められましたが、彼の遺族が夜半にそっと掘り出して持ち帰り、埋葬したのが龍源寺の墓。
それでは、板橋駅前の墓は何も入っていない供養募なのかというと、この墓にも胴体が埋められているとも。
近藤が処刑された日、他にも斬首された者がいて、遺体の取り違えがあった?或いはわからなくなった?

都に送られた近藤勇の首ですが、三条河原でさらし首。しかし、その後、首がどうなったのかがわからない。
現在、京都護国神社がある霊山の辺りに埋められたらしいという話を紹介している本を昔、読んだ記憶があります。しかし、それも確証がなく、はっきりした場所も不明。
新選組は京都守護職であった会津藩の指揮下にありました。その会津、天寧寺にも近藤勇の墓。都でさらされていた近藤の首を奪い取り、この地まで運んで埋葬?昔の大河ドラマ「新選組!」では、斎藤一がその役割を果たしていました。
そして、もう一つが愛知県岡崎市の法蔵寺。
随分、昔に訪れたことがあります。少し離れた目立たない所に近藤勇の胸像と墓石があったのを覚えています。台座に施主ということなのか、土方歳三他数名の名前が刻まれていました。
何故、ここにあるのかというと、さらされていた首を新選組隊士が奪い取り、都の新京極、宝蔵寺の住職に預けられたのですが、その住職が法蔵寺の住職となり下向。そのため、近藤の首もこの地に持ち込まれて、密かに埋葬と伝えられています。因みに、寺に伝わる伝承では、首を奪取したのは山口という隊士。斎藤一の別名は山口二郎なので、やはりここでも斎藤一の影?

そんな妄想をしている内に、どうやらいい感じに煮えた。

このまますぐに食べてもいいのですが、あえて蓋をして暫く置く。
土鍋は保温力が高いので、蓋をしておけば、大根に更に熱が伝わり、より柔らかく。更に煮物は冷めていく内に味が入っていくので、冷めるまで置いてから再度、温めるのがベター。

しっかりと味が沁み込んだ大根とぶり。濃い味が正解。
大根は殆どが水分ですが、ビタミンC豊富、また胃腸を整える働きがあり、胃腸薬の原料にもなるタカジアスターゼが含まれています。特に葉と皮。
!?
しまった、葉も皮もどちらも使っていない。まあ、微量でも摂取出来るでしょう。
ぶりには抗酸化作用があるビタミンE、肝機能を高めるタウリン。タウリンは水溶性なので、煮汁も一緒に食べる方がよし。

元々は百姓の子として生まれた宮川勝五郎、剣術の腕を見込まれて天然理心流宗家、近藤周斎の養子となり、近藤勇に。
江戸で試衛館道場を開き、剣術指南。尊王攘夷の志を抱いて都に上って新選組の局長となり、都の治安を守るために活躍。
江戸幕府が倒れると、それまで反体制派だった薩長を中心とする新政府軍によって斬首され、数え35歳、満年齢では33歳を一期として死去。
何とも濃密な人生だったと思います。
ぶりは成長によって名前が変わることから、出世魚と呼ばれます。
地域によって異なりますが、概ね、ワカシ→ハマチ→ワラサ→ぶり。
近藤勇も百姓として生まれ、武士に成り上がり、会津藩お預かり、更に旗本にまで出世。
名前も宮川勝五郎から島崎勝太、近藤勇、そして大久保大和と変わりました。
近藤勇の濃厚な出世人生を偲びながら、出世魚を大根と共にご馳走さまでした。

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