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山岡鉄舟マイ

王政復古の大号令を受けて江戸に進撃してきた新政府軍。今にも江戸へ総攻撃と思われた時、西郷隆盛と勝海舟の会談により、最悪の事態は回避されたと思っている人が多いかと思います。しかし実際には、新政府軍の攻撃を回避すべく事前に交渉した人物が存在。勝と西郷の会談はその確認に過ぎなった。
勝海舟に続く、幕末三舟の第二弾。↓


材料

米粉   100グラム
片栗粉  大匙2
山芋   5センチ
鯖の水煮 1缶
玉葱   1/4
卵    1個
生姜   半欠け

天保七年(1836)江戸で飛騨国代官、小野高福の子として誕生した鉄太郎が後の山岡鉄舟。
母方の先祖は新当流の開祖、剣豪として有名な塚原卜伝。
そのDNAが成せることか、或いはそのことを聞いていたのか、剣術に御執心。中西派一刀流や北辰一刀流などを稽古。明治になってからの話ですが、後年には自身が無刀流の開祖となる。
槍術の師、山岡静山の妹と結婚し、山岡家の婿養子となり山岡鉄太郎となる。鉄舟は号。
剣術の腕を買われて、幕臣に武術を指南する講武所の教官を務める。
清河八郎や伊牟田尚平らと共に尊王攘夷を標榜する虎尾の会を結成。
虎の尾を敢えて踏む。現政権である幕府の意に背くかもしれないことを敢えてやるという会。


米粉と摺り下ろした山芋を混ぜ合わせる。

幕府に仕える身でありながら、幕府を危うくさせかねないことに手を出す。
虎尾の会はアメリカ領事館の通訳、ヒュースケンを暗殺。これには鉄舟は直接、関与はしていないようですが、耳には入っていたことでしょう。
又、清河八郎が立案した将軍警護の浪士組結成にも取締役として関与。
この浪士組参加者で京都に残留した芹沢鴨や近藤勇らが後の新選組の核となる。
清河は幕府に要注意人物としてマークされていて、結局は江戸に戻った後、佐々木只三郎によって暗殺。
清河の同志だった鉄舟も謹慎処分。


水を少しづつ加えていい感じになるまで捏ねる。

時勢はやがて幕府が倒れる方向へと向かっていく。幕臣でありながら、幕府を危うくさせることに首を突っ込んでいたのは、幕府よりも日本全体がどうあるべきかを考えていたということなのか。
やがて幕府というものが本当に終わるという場面で、鉄舟に一世一代の大仕事が回って来る。

適当な大きさに広げて皮が完成。

慶應四年(1868)もはや将軍ではなくなった徳川慶喜を守る「精鋭隊」が結成され、鉄舟は歩兵頭格を任命される。一角の武芸者であり、身の丈は六尺二寸(188センチ)体重は二十八貫(105キロ)という巨漢だったので押しが利くということか?
既に政権を返上し、恭順の意を示している慶喜の使者として、鉄舟は新政府軍との交渉を任される。
東海道を向かって来る新政府軍の元に向かい、駿府にて邂逅。指揮官の西郷と対面を望む。


鯖、微塵切りの玉葱、生姜、卵、片栗粉を混ぜ合わせる。

「朝敵、徳川慶喜家来、山岡鉄太郎まかり通る」と言いながら、官軍兵士の間を通り抜けたと言います。これも武術の達人故に肝が据わっていたというべきか。こうした人物と見込んで、慶喜も使者の大任を命じたか。
江戸に攻め込むのを止めてくれるように西郷と交渉。
西郷が提示したのは江戸城の明け渡し、兵器や軍艦も同様に明け渡し、兵士の武装解除、慶喜を岡山に預けるといった条件。
この内、慶喜の引き渡しを鉄舟は拒否。
「もし、あなたが私の立場ならば、島津候を引き渡すことはしないであろう」
この言葉に感じ入った西郷は慶喜の身柄引き渡しを撤回。
この時点で江戸城無血開城が決定。


これにて中身完成。

その後に行われた、西郷と勝の会談で諸条件の再確認が行われて、江戸城無血開城が最終決定。この場にも鉄舟は同席。
身の安全が保障された慶喜は水戸にて謹慎。水戸に向かう前、
「官軍に一番に向かったのはそなただ。一番槍である」と慶喜は鉄舟に感謝。
後年、勝は江戸城無血開城の手柄を独り占めするかのように、鉄舟の働きをまるで記録しなかったが、実際はこういうこと。


中身を皮に包んで、蒸し器へ。15分程、蒸す。

明治維新後、徳川慶喜は駿府に移り、鉄舟もそれに付き従う。
駿府での逸話として、清水の次郎長との交友があります。
旧幕府軍の軍艦、咸臨丸が駿河湾で座礁、乗組員達の死体が海にプカプカ。
しかし、賊軍となった旧幕府兵士の死体を回収すると、新政府からお咎めを受けるのではないかと恐れて、誰もが見て見ぬフリ。
そんな中、子分達を総動員して、腐乱しかかっていた死体をすべて回収して供養した人物。それが清水の次郎長。
侠客つまりヤクザです。
鉄舟は次郎長に面会して礼を述べる。
「それにしても、新政府から如何なる咎めがあるかもしれないというのに何故、供養してくれたのか」
「官軍も賊軍もない。死ねば皆、仏じゃござんせんか」
鉄舟も肝が大きい人物ですが、次郎長もまた親分と呼ばれるだけあって肝の大きな人物だった。


蒸し上がり。

肝胆相照らす仲となった鉄舟と次郎長、交友が続きました。
或る日、次郎長が鉄舟に問い掛ける。
「先生、私にはどうしても先生がどれだけ偉いのかわかりません」
何やら失礼にも聞こえる言葉ですが、次郎長が言うには、鉄舟の言葉や書いた文章は難しすぎて理解出来ないということ。
ヘタに知性がある人は理解出来ない相手を見下しそうなものですが、鉄舟は違いました。
幾ら立派なことを言おうとも、相手の心に響かないのでは意味がないと反省。出来るだけわかりやすく平易にと心掛けるようになったとか。


山岡鉄舟マイ

山芋を混ぜたことで皮の柔軟性と強度は向上。しかし、今度は中身に問題。
卵を入れたせいで水分過多となり、皮から漏れる。濡れた皮が破れやすくもなる。卵はなくてもよかったか。
都合よく解釈すれば、外側に漏れた卵交じりの液が餃子の羽根っぽくもなった?
卵で良質なタンパク質も摂取出来る。鯖の不飽和脂肪酸、玉葱の血液サラサラ効果も頂ける。

山岡鉄舟について調べてみると、彼が好んだという「忠七飯」という料理があることを知る。その内、作ってみるか。

幕末三舟、最後の一人、高橋泥舟もどう料理するかと、ネタと思案は尽きない。

虎の尾を踏むような、敢えて危ない所に身をおきながらも大きな仕事を成した山岡鉄舟を妄想しながら、山岡鉄舟マイをご馳走様でした。


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