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忠臣蔵タン

12月14日は赤穂浪士討ち入りの日でした。と言っても、実はこの日付は旧暦。現代の暦に直すと、1月30日。
正確に言うならば、元禄十五年十二月十四日、太陽暦では1703年1月30日となります。
それ故、この日に泉岳寺を始めとする縁ある場所で義士祭を行うのはずれていることに。まあ、あまり細かいこと言っても、赤穂浪士の討ち入りとか忠臣蔵自体がもう現代では忘れかけられている気もします。
何十年か前までは年末になると風物詩のように忠臣蔵の映画やドラマが劇場やテレビで見られたものですが、もうそれも耐えて久しい。
大河ドラマの題材に何度もなった事件ですが、元禄繚乱以来、それもない。
数年前、泉岳寺を訪れた時、忠臣蔵を大河ドラマにという看板を見ましたが、難しいでしょうね。
もはや、現代の日本人の心情には仇討というものがマッチしなくなっている気がします。この事件が本当に仇討と呼べるものかについては疑問ですが。
忠臣蔵関係の動画をどうぞ。↓

忠臣蔵、ぐら、グラタンを作りたくなりました。我ながら何というこじつけか。

大体2、3人分位。

材料

塩 大匙1 小匙半分
胡椒 適量
米粉 大匙 5
チーズ 適量
これらを調味料と見做す。

具としては、
帆立貝 適量
海老  適量
薩摩芋 1
里芋  1
ジャガイモ 1
長芋 1
玉ねぎ 半分

調味料4に具材が7。これで47。グラタン四十七士や。という趣向。
あ、それから水とバター、酒と片栗粉を用意。

まずは芋類を柔らかくするために蒸し器へ。

あれ?芋が一つ足りない。

長芋は蒸しません。生でも食べられる芋であり、そのシャッキリした食感を蒸すことで損ないたくないので。
芋を蒸している間に他の具材の準備。

長芋は細かく切る。

殻を剥き、尻尾を取った海老は分量外の片栗粉と酒で洗い、汚れを取ります。背ワタがあれば取ってから細かく切る。

おっと、尻尾を取り忘れてる。

玉ねぎは細切りにして炒める。

グラタンに付き物のホワイトソースですが、牛乳なしでも作れます。
まずはフライパンにバターを40g入れて弱火。溶けてきたら米粉を大匙5
投入して混ぜ、水400ccを2,3回に分けて入れながら混ぜ混ぜ。
やがて、こうなります。

ホワイトソースや。

元禄十四年、勅使つまり朝廷からの遣いが江戸に。その饗応役を仰せつかったのが赤穂藩主、浅野内匠頭。
指導役だったのが高家肝煎、吉良上野介。

吉良上野介義央

勅使が将軍に謁見という当日、浅野内匠頭は
「この前の遺恨、覚えたるか」と叫んで、江戸城内、松の廊下で抜刀、吉良上野介に斬りかかる。
額と背中を斬り付けられながらも吉良は逃げ延びる。
江戸城内で抜刀することは禁じられていました。しかも朝廷からの使者が来ている時に何たる失態。当時の将軍、徳川綱吉は激怒。
ろくに調べもされない内、浅野内匠頭は当日の内に切腹を命じられます。
更に赤穂浅野家は改易。この処置で、浅野家に仕えていた武士達も浪人に。
この顛末に疑問と憤懣を抱いた赤穂の浪士達、家老の大石内蔵助を盟主として密かに結束。最終的には47人の浪士達が一年9ヶ月に渡る艱難辛苦の末に吉良上野介を討ち取る。というのが、思いっ切り要約した赤穂事件、忠臣蔵として知られる物語。


蒸し上がった芋の皮を剥く。

芋をそれぞれ小さく切っておきます。
ボウルにホワイトソース、玉ねぎ、長芋、海老と帆立を入れて混ぜ合わせる。
義士の一人に磯貝十郎左衛門という人物がいるので、具に貝を加えたかったので帆立貝。
ボウルに塩と胡椒を入れて、更に混ぜ混ぜ。
赤穂といえば塩田。ということで塩味メインとします。
内匠頭と吉良の遺恨とは、吉良の領地でも塩田があったので、塩の製法を教えろ教えないという確執があったのではないかという説もあったようです。
他にもこの事件の原因と言われているのは、吉良が内匠頭に意地悪をして饗応役の作法をまともに教えなかったとか、内匠頭自身が一種の精神錯乱を起こしたとか、諸説あり、はっきりしない。


まずはジャガイモから。

その上にホワイトソース、それから里芋。ホワイトソース、薩摩芋と重ね、またホワイトソース。その上にチーズを散らす。

オーブン余熱なし230度で20分焼く。

焼けるまで妄想が続く。
討ち入りの翌年には早くも舞台に取り上げられたという赤穂浪士の討ち入り事件。もっとも有名となり、大ヒットとなったのが事件から45年後に作られた人形浄瑠璃『仮名手本忠臣蔵』
以降、赤穂浪士の物語はこれが主なフォーマットになりました。この話は室町時代の話として事件を翻案。幕府の検閲の目があったからでしょう。
この話では、大石内蔵助は大星由良助、吉良上野介は高師直、浅野内匠頭は塩冶判官と名前を変え、刃傷松の廊下の原因も高師直が塩冶判官の妻に横恋慕したからとなっています。
因みに高師直が人妻に懸想したというのは史実であり、吉田兼好が恋文を代筆。徒然草を書いて、世捨て人のようなイメージがある兼好法師ですが、権力者のラブレターの代筆なんてしていたんですね。


忠臣蔵タン

焼きが甘いように思われるかもしれませんが、焼き過ぎるとホワイトソースに混ぜた長芋の食感がシャキシャキからもっちりに変わってしまいます。他の芋との差を楽しみたいので、この辺りで焼きは止めておきます。チーズがある程度溶けたので良し。

里芋のねっとり感、薩摩芋の甘さ、じゃがいものほっくり感、正に芋のオールスターキャスト。
帆立の滋味、海老のプリプリ、玉ねぎの甘味を包み込む塩味効いたホワイトソース。ご馳走感満載。グラタンとはいえ小麦粉もパン粉も使っていないので当然、グルテンフリー。

赤穂浪士の討ち入り、一般的には仇討の括りに入っていますが、そうは思えない。浅野内匠頭は吉良に殺された訳ではない。仇となれば、切腹を命じた江戸幕府や将軍綱吉ということになる。
武家の喧嘩は両成敗が原則なのに、吉良には何のお咎めもなかったことに対する異議申し立てが討ち入りという実力行使だったという意見もありますが、これは喧嘩ですらない。吉良は一方的に斬られただけで応戦していません。当時、江戸城内で抜刀することは御法度。浅野はそれを破ったが、吉良はそれをしていない。
それでは、この事件の本質はというと、私は赤穂浪士達は人には命よりも大切なことがあるということを身を以て示したのだと考えます。
彼等にとって、それは武家の意地であり、主君への忠義。
主君が果たせなかった吉良上野介を討つということを、彼等は代わって執行したのでしょう。
今の時代とは倫理や道徳が違うので、意地を立てるために人命を奪うことは理解しにくいことでしょう。しかし武家は常に死の覚悟を持たねばならない。命よりも大切な意地を通すために行動した。それを後世の我々は教訓とすべきでしょう。
あら楽し、思いは晴るる。身は捨つる。浮世の月にかかる雲なし。
大石内蔵助の辞世と言われる句です。
何故か心に残り、暗記しています。この句とグラタン、ご馳走さまでした。

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