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調所広郷芋の柚子煮

最近、どかた家の食卓は里芋率高め。美味しいから作りたくなり、食べたくなる。ということで今日も里芋を新たな味に煮つけながら、身も心も主家のために捧げながらも報われなかった人物を妄想した記録。


材料

里芋   10,11個
柚子の皮 少々
出汁つゆ 1カップ(二倍濃縮)
醤油   大匙2
味醂   大匙1
蜂蜜   大匙1

安永五年(1776)鹿児島城下の小姓組最下級の川崎圭右衛門の次男として誕生した良八が後の調所広郷。
天明八年(1788)に調所家の養子になり、茶坊主として島津家に仕える。
茶坊主とは主君の遊興や芸能の相手や指導を担う役割。
茶道や華道、様々な芸能に通じる。
仕えた主君は島津重豪。幕末に活躍した斉彬、久光兄弟の祖父。
重豪から笑悦という名を与えられる。広郷は笑顔が魅力的だった?


圧力鍋で里芋を煮る。

島津重豪という殿様、綽名が蘭癖大名。蘭学とか西洋の文物に興味津々。舶来の物や学問にお金を注ぎ込む。これが薩摩藩の財政を急速に悪化させる。
薩摩、大隅という島津家の領地は桜島という火山を抱えているので水はけのいいシラス台地。ということは水田が作り難い。
江戸時代の経済は米が基本。それが殆ど機能していないのに領地が広いということで七十万石という格式を与えられる。
格式を付けられるということは、それに相応しい軍役や生活を強いられるということ。見合った数の武士を抱えねばならず、交際費や生活費も大きい。
更に島津家は関ヶ原の負け組ですから、木曽川の改修等のお手伝い工事も命じられて慢性的な赤字。それにトドメを差したのが蘭癖。


煮上がったら皮を剥く。

重豪の時代には借金が500万両。薩摩藩の年収は12万両から14万両なので年に80万両という利子の支払いも不可能な有様。
「金をドブに捨てるのは構わないけど、薩摩様に用立てるのは御免蒙る」と商人の間では言われていた。
回収不能になるのが目に見えているので貸せませんということ。こうなると新たに借りて返済という自転車操業も出来ない。
既に財政破綻状態ですが、これを何とかしろと重豪は家臣に命じるが、一人目は逃げ、二人目も逃げ、こいつだけは逃がすものかと重豪は刀を手にして広郷を脅す。
この頃には才覚を認められて茶坊主から通常の家臣に昇格して笑左衛門という通称になっていた調所広郷、止むを得ず財政再建を引き受ける。


調味料を混ぜて沸騰させる。味醂のアルコールを飛ばすため。

茶坊主時代から多芸多趣味だった広郷ですが、財政再建を請け負ってからは茶道、華道、将棋、相撲等々の趣味をすべて封印。仕事人間に変貌。部下が趣味を持つことも嫌った。
具体的に行った再建策ですが、商人を脅して借金の証文を焼却させ、250年ローンでの無利子返済を承諾させる。その代わり薩摩藩が琉球を通じて行っている密貿易に関与させてやるという飴と鞭。
奄美諸島の特産品、黒糖の栽培を島民に強制。藩の専売にして安く買い上げて高く転売。更に島民に重税。島の生活は黒糖地獄と呼ばれた。
更に贋金作りまで行ったという噂。


里芋を投入。

領民に痛みしか与えない辣腕というか豪腕によってついに財政を好転させて、重豪の次代、斉興の時に薩摩藩には250万両の蓄えが出来る。
ところがここで新たな悩み事。
斉興の嫡男、斉彬は重豪に似て西洋の文物に興味津々。このまま斉彬が跡を継ぐと立て直した財政が食い尽くされる。それを恐れた斉興や広郷達は側室のお由羅所生の久光を跡目にと画策。お由羅騒動と言われるお家騒動。


落し蓋をして弱火で15分煮る。

跡目を狙う斉彬派は思い切った手段。
斉興達が行っている密貿易を幕府に密告。これにより幕府に介入させて斉興を強制的に隠居させる目論見。
幕府の対応次第では島津家自体が吹っ飛びかねない両刃の剣ですが、密貿易は幕府も薄々は気付いていたことでしょうから、今更感。
しかし、これにより追及が厳しくなると強引過ぎる再建策だけではなく(噂通りだとすれば)贋金作りまで芋づる式に暴かれて斉興の隠居だけでは済まなくなる。幕府の追求を自分の所で止めるために広郷は服毒自殺。
武士らしく切腹ではないのは、元茶坊主らしいかもしれません。


細かく刻んだ柚子の皮を混ぜる。

斉彬が跡を継ぐと、幸いにも蓄えが食い尽くされることにはなりませんでした。広郷に学んだのか、斉彬は税率を上げて奄美の島民だけではなく薩摩本国の百姓も苦しい生活を強いられることに。そのため自分達が食うための隠し田作りが薩摩の百姓の間では横行。
広郷が作った蓄え、斉彬時代の重税を原資として薩摩藩は幕末には維新の主役として雄飛。


調所広郷芋の柚子煮

下茹でしたことでしっかりと柔らかい。甘しょっぱい煮汁に柚子の爽やかな酸味がいいアクセント。普通の煮っ転がしとは一味違う味わい。
里芋の食物繊維、ガラクタンをしっかりと摂取。

広郷が亡くなると、その強引過ぎた財政再建策の恨みは遺族に向けられる。散々な悪評を受けて調所家は一家離散。
元々、再建を命じたのは島津重豪ですが、殿様を直接批判は出来ないので家臣に非難の矛先。封建社会の理不尽を絵に描いたような話。

最後に少し救いになる話。
薩摩焼の産地だった苗代川地区には広郷の招魂墓が現存。
これは陶工達の生活改善に資金を投入した広郷に住民が感謝して建立。供養を続けた墓。
薩摩焼が密貿易の重要な輸出品だったので、陶工を保護するために広郷は資金を投入して彼等の生活改善を図ったのですが、陶工は深く感謝。
生前も死後も主家のために憎まれ役を一身に担ったけれど、感謝している人々もいた維新の礎を築いた人物を妄想しながら、調所広郷芋の柚子煮をご馳走様でした。

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