柳生十兵衛ビドリア
週刊ポストに連載されている「柳生裸身剣」という漫画をたまに立ち読みしています。(買わないのがミソ)
永井豪先生描く柳生十兵衛は何と美女。
毎回、繰り広げられる剣とエロスの競演。永井豪先生、まだまだ素晴らしい漫画家。もう漫画を読むような年齢でもない私も魅了されてしまいます。
ということで、柳生十兵衛に関する料理として思いついたのが、今回のドリア。
芝海老 1パック
ジャガイモ 1
玉葱 半分
ミックスチーズ 適量
米粉 大匙 5
塩 小匙 1
胡椒 適量
バター 40グラム
現実の柳生十兵衛は間違いなく男だったと思っていますが、どういう人物だったのかというと、かなり謎が多い。
隻眼だったように思われていますが、実はこれも確証なし。肖像画も両眼そろっています。
一時期、江戸城への出仕を止められていましたが、その間、剣術修行という名目で諸国の情勢を探っていたようにも言われますが、本人の著作によると、その間は柳生の庄にて剣術修行の日々だったとか。
柳生新陰流というのは十兵衛の祖父、柳生石舟斎が新陰流の祖、上泉信綱から印可を受けたのが始まり。
石舟斎の子、但馬守宗矩が徳川家康に仕え、将軍家指南役となり、一万石の大名にまで出世。その嫡男が十兵衛。
三代将軍徳川家光に剣術指南していたであろう十兵衛、何等かの事情から遠ざけられることとなりました。
そもそも何があって出仕を止められることになったのか?
「柳生裸身剣」によると、色香に迷った家光に襲われたからとなっていますが、それはあくまでもフィクション。
私が推測するに、柳生十兵衛という人物は剣術バカだったのかもしれません。自分が望むのは天下無双の剣。たとえ相手が将軍だろうと容赦はしない。厳しい稽古を課したというよりは、自分が強くなることばかりを求めていたのではないか?
家光は元々、虚弱体質。十兵衛の厳しい稽古に耐え切れなかったのではないか。それに将軍自らが剣を取って戦うなどということは滅多にあるものではない。あったとすれば、それは幕府が終わる時を意味する。
将軍の剣はあくまでも心身を鍛えるものでよしと考えていたであろうから、そこに考え方の乖離が生まれたのが出仕停止の原因ではないか?
家光から遠ざけられたのか、或いは自分から申し出たのか?もしかしたら両方?
「さることありて」としか、十兵衛は原因を明言していません。
十兵衛の著作「月の抄」によれば、その後は柳生の庄にて剣術修行。
しかし、諸国を巡って修行していたという伝承も根強く残る。
柳生家は実は忍びを使っていて、全国に散っている門弟達からも情報を集めて、スパイの親玉みたいなこともやっていた。というイメージもありますが、これは何の史料的な裏付けもない話。最初にこういう話を採用したのは五味康佑の小説「柳生武芸帖」
史料にないからといって、すべて嘘とは言いませんが。
オーブンを180度で余熱、20分加熱。
十兵衛自身が求めることと、組織が十兵衛に求める姿とが違っていたというのが、出仕停止の原因ではないかと妄想。
つまり個人の思いや願望よりも、組織やそのトップが考えることの方が優先される。社会がうまく機能するようにと形作られていくのが組織だった筈が、個人の思いを押し殺す形で動くようになってしまう。十兵衛はそれに耐え切れなかった?
米粉使用なので当然、グルテンフリー。海老にはタウリンやキチンキトサンが含まれカルシウムも豊富。
ご飯と米粉なので、もしかしたら炭水化物過多?
まあ、味は悪くないので良しとしよう。少し味が薄いと感じるようならば、ウスターソースを少量、回し掛けてみるのも良し。
数年前、柳生の庄を訪れたことがあります。現代でさえ、奈良市街からバスで一時間かかる山里。江戸時代は更に静かな所だったことでしょう。
柳生家の菩提寺、芳徳寺や家老屋敷等が残る静かな所だったのを覚えています。その地に十兵衛杉という巨木。
現在は枯死してしまっていますが、真っ直ぐに天へと伸びるような杉は、十兵衛自身が柳生の庄を旅立つ時に植えたと伝えられています。
それは諸国修行に出る時だったのか?或いは江戸に再出仕するためにこの地を発つ時だったのか?
若く血気盛んだった十兵衛、出仕停止から11年後に再度の出仕を許されました。その間に少しは丸くなったか?或いは変わらぬままだったのか?
杉のようにまっすぐに伸びたくても、組織で生きるには時には松のように曲がらねばならないこともある。そんなことを思ったかなあ。
十兵衛の死にも謎。鷹狩に出かけた先で頓死。43歳でした。死因は不明のまま。
謎多き柳生十兵衛。だからこそ妄想の巾も広がるというもの。そんなことを思いながら、柳生十兵衛ビドリアをご馳走様でした。
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