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穴子とイカ之助

ふと、穴子の天ぷらが食べたくなった。頂いたコメントでそれについて書かれていたのが発端。↓

ということで穴子を買いに魚屋へ。2,3尾買って十分な量の天ぷらを作ろうと思っていたのですが、売れてしまったようで1尾しかない。物足りないのでイカを同時に購入。共に天ぷらにしつつ、穴子ならぬ尼子の勇士について妄想した記録。


材料

穴子        1尾
イカ        1杯
ベーキングパウダー 少量
米粉        適量
醤油        大匙3
味醂        大匙1
蜂蜜        小匙1
片栗粉       適量

イカの写真を撮り忘れていますね。
真田十勇士という話がありますが、それに倣ったのか、滅びた山陰の雄にも尼子十勇士という面々。ただ殆どは架空の人物らしいのですが、間違いなく実在したのが山中鹿之助。
生誕の年ははっきりしていませんが、生誕地と言われるのは月山富田城の近く、新宮谷と言われます。そのことが後々、大きな意味を持ってくる。


穴子を捌いて、食べやすい大きさに切る。

鹿之助の祖父は尼子経久と共に月山富田城奪還に活躍したと言われています。尼子経久については以下を参照下さい。穴子の捌き方も載せています。↓

鹿之助が成人していく頃には、尼子は残念ながら斜陽化。
その一因が新宮党の粛清。
経久の跡を継いだ尼子晴久の叔父、国久が率いていた一団が新宮党。尼子家きっての武闘派集団。しかも晴久の妻は国久の娘、つまり舅でもある。
謀反の疑いを掛けられて、国久も新宮党も誅殺。
この事件が起こったのは、厳島の合戦前。
陶と戦う前に、もう一つの敵である尼子の勢力を削いでおくために毛利元就が仕掛けた謀略だった可能性が高い。


イカの胴と身をゆっくりと引っ張って離す。

晴久が四十七歳で亡くなると、嫡男の義久が跡を継ぐ。
その頃になると、毛利元就は尼子を標的と定め、月山富田城へと侵攻。
尼子家と月山富田城を守るために鹿之助も奮戦。
この攻防の中、品川大膳という毛利方の武将と一騎打ちしたという話。
大膳は武名高い鹿之助を討ち取ると決心して、棫木狼之介と名乗ったと言います。鹿は棫の芽を食べない。そして鹿を討ち取る狼という意味合い。
結果は残念ながら食べられてしまいましたが。


胴体の皮を剥ぐ。

足かけ二年に渡った戦いも尼子家の降伏で終了。
ここからが山中鹿之助の人生の本番。
最後の当主、尼子義久は命は助かったものの毛利方に幽閉。
鹿之助は尼子家再興を目指すことにしたのですが、彼が新たな尼子当主として担いだのは尼子勝久。粛清された新宮党の国久の孫。
新宮党壊滅の後、都の東福寺の僧侶になっていたのを還俗させて、新たな当主として擁立。尼子再興軍の旗印としました。
月山富田城奪還に向けて出雲へ進軍。しかし強大になった毛利の支配はなかなか崩せず。
「我に七難八苦を与えたまえ」と鹿之助は三日月に祈ったといいます。
どうか助けて下さいではなく、どんな苦難を与えられても乗り越えてみせますという誓いと言うべきか。


米粉とベーキングパウダーを水で溶いた衣に穴子とイカを潜らせる。

鹿之助達だけでは毛利に対抗出来ないので、後ろ盾になってくれる勢力として頼ったのが織田信長。
信長にとっても毛利と事を構えるには丁度いい口実ということから利害が一致。
まずは明智光秀の傘下に付けられたといいますが、その時の逸話。
鹿之助は光秀やその家臣、野々口丹波と親しくしていました。
野々口の屋敷に招かれた鹿之助ですが、同じ日に光秀から、
「風呂を炊いたので、お越し下さい」との招き。
鹿之助の返事は
「野々口殿と約束があるので行けません」と光秀の誘いを断る。
上役からの誘いであっても、先約を優先という律儀さ。
光秀も気を悪くするようなことはなく、野々口の屋敷に鹿之助の饗応用にと鷹と鮭を届けさせたといいます。


油で揚げる。イカはかなり油が撥ねるので鍋から離れてぬ。

やがて織田と毛利が本格的に戦争状態に入ると、羽柴秀吉率いる軍勢に尼子再興軍も加わる。
播磨の上月城が秀吉方に攻略されると、尼子軍はそこの守備を命じられる。ついに自分達の城を得た。
ここを拠点に美作の国人の懐柔や調略を担当。
それまで織田方だった三木城の別所長治が毛利方に転じると、それを支援するために毛利は三万の軍勢で播磨に侵攻。上月城は包囲される。
毛利にとっても、いつまでもうるさく絡んでくる鹿之助一味を始末する好機と見たか。


醤油、味醂、蜂蜜を煮る。沸騰したら水で薄めて、水溶き片栗粉でとろみを付ける。
穴子寿司の上に塗る煮詰めに近い物を作っているという訳。

風前の灯の上月城へ、秀吉率いる1万の軍勢。しかし信長は三木城攻めを優先せよと命令。鹿之助達は見捨てられる。
ついに降伏を余儀なくされる。
尼子勝久と弟は切腹。
鹿之助は備中松山城に居る毛利輝元の所へ送られることとなる。そこで運命が決まるということか。


穴子とイカ之助

穴子の身が反りかえったのが残念。切り込みをしっかりと入れるべきだったか。
米粉を使うと、カラッと揚がり、時間が経っても衣がシナシナにならない。
イカにはコレステロールを減らす働きがあるタウリンが豊富。ビタミンEも豊富。
穴子には血流をよくするEPAと栄養素も申し分なし。


煮詰めもどきを乗せて頂く。

タンパクな味わいの穴子もイカも煮詰めもどきの濃厚味をしっかりと受け止める。天つゆよりもこちらの方が食べ応えある。

もはや主とした勝久もこの世にいない。自分も捉われの身となった。それでも鹿之助は一矢報いようと考えていたようです。何度も戦った吉川元春と刺し違える覚悟?
しかし吉川元春にも毛利輝元にも会うことはありませんでした。
護送される途中で殺害。享年は34歳とも39歳とも言われます。

勝てなくても決して屈しない。最後までそんな生き方を貫いた。山中鹿之助はそういう人物だったと思います。
華々しく、或いは潔く死ぬだけが武士ではない。それを体現した生涯をまっとうした山中鹿之助を妄想しながら、穴子とイカ之助をご馳走様でした。


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