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四条河原町、23時


  高校生だった。夜が好きだった。
 夜はいい。明日に追いつかれないように、ゆっくり、ゆっくり、夜を歩いた。
 四条通りを重い鞄を持って歩く。夜はまだまだあるよ、まだまだずっと夜だよ、って教えてくれる。夜はいい。
 16歳だった。16歳だったが、エクセルシオールカフェは、私にサングリアの小瓶を売ってくれた。あの無粋な「年齢確認が必要な商品です」という警告を、レジスタは発さなかった。あの頃は、そんな機能は無かったのだ。
 2階の隅っこの席に座って、化学の参考書とペンケースを広げてぼぅっとしながら、細いガラス瓶のサングリアを飲んだ。適当に蛍光ペンを時々参考書の行に引いた。何が大事なんだか何にも分からないままに。
 誤算だったことは、その飲み物は炭酸を含有していたこと。私は炭酸は苦手だ。口のなかがぴりぴりして痛いから、嫌い。私いちおう、植物じゃないから、二酸化炭素なんて取り込めないよ。
 携帯電話がちょっとごっつくて、そして画面は安っぽい少ない色数の点で成っていて、そんな携帯電話があったこと、ねえ、覚えてる? それともあなたは知らなかったりして。一応カメラ機能は付いていた。すっごく小さいサイズの画像しか撮れないの。でも少し鈍い銀色を混ぜた水色の携帯電話、好きだった。中学のときに転校していった友だちがくれた、ストラップとか、3つか4つ、ぶらぶらしている。
 サングリアを、少しずつ飲んだ。アルコール分はたぶん7%くらいで、全然そんなの平気だけれど、誰かが来て見咎めて補導されたらどうしよう、なんてちょっとだけぞくぞくしながら飲んだ。やっぱり炭酸は、口のなかをいじめる。痛いじゃないの何するの。でも果物を飲んでいるようで、あじは美味しいと思った。
 
 四条河原町の角っこで配布している茶髪のお兄さんに押し付けられたポケットティッシュは風俗のもので、あからさまな色使いで派手ですごく下品だ。でもティッシュを他に持ち合わせていなかったので、それを出して目尻を拭った。涙のしずくを無かったことにするために。
 

 センチメンタル・ファッキン。
 ガールズ・メイド・イン・ヘヴン。

 
 ドラッグストアで買ったものたち。安全剃刀の箱の側面に「取り扱いにはご注意下さい」と、書いてある。ご注意、致しますよ。


 センチメンタル・ファッキン。
 ガールズ・メイド・イン・ヘヴン。
 取り扱いには充分ご注意ください。

 
 このティッシュに記されている番号に電話したら、私どうなるのかな。私の部屋が、出来るのかな。それで……考えるのを止めた。きっと私出来ない。何をするかとか、その行為がどうこうとかじゃなくて、私きっと上手く出来ない。
 やがて携帯電話の時計の表示が23時に近くなり、それはエクセルシオールの閉店時間だった。私は哀しくなりながら参考書を仕舞って荷物をまとめた。夜が約半分が過ぎていってしまって、家には早く帰らないと訝しく思われるし、夜はたゆむことなく終わりに向かって進んでいる。
 明日はきっとまた、がっこー、遅刻する。してしまうだろうな。事務室のひとに、叱られるんだ。あと3回遅刻したら、生活指導のせんせーと個人面談だ。あ、いや親に電話が掛かってくるのかな。たまらない。たまらないです。たまりません。
 
 16歳だったとき、私は夜の街をさかなのように泳いで、陸地を探していた。本当は飲み干したサングリアの瓶のなかに閉じ込められてしまいたかった。夜や、街や、家や、学校や、そういう色々なものに閉じ込められるくらいなら、サングリアの赤い瓶のなかに入って、そのうす赤いガラス越しにぼぅっとしたかった。そのときは本当に、ただ、ぼぅっとしたかった。何も話さず。息をしているだけの日々が、終わりが見えないくらいに連綿と続いていた。


fin.   

投稿者 泉由良

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