#8 missing & lost

自分自身が引き裂かれてしまったわたしは、再び人間以外のモチーフを探さざるを得なくなっていた。

この世界で既に提出されている男の表象の中にも女の表象の中にも自分の存在を見出だすことが出来ない。

やはり自分には、人間は手に負えないモチーフなのか。

かといって掴み所の無い不定形な自分を直視し、絵に落とし込めるほど、自身を鑑賞出来る精神的な余裕もまだ無い。

人間というものを再び掴みあぐねたわたしは、出展を依頼されていた「わたしのアイドル」というテーマの企画展で提出出来るものが見付からず断念したり、上京前に懇意の仲になり人生上の色んな悩みを相談してきた人に今の自分が何を描くべきか分からなくなってしまったことを正直に打ち明け、その相談が相手には荷が重すぎたのか程なく距離を取られいつの間にか疎遠になってしまった。

社会的経験が少なく、ネット上での親密な会話のやり取りでしか他者との繋がりが無かったわたしは、現実での人との適切な距離の取り方が分からず、社交辞令の口約束を真に受け傷付き、自立した作家であることより既に世へ出て性的な既成概念を打破すべく重要な役割を負って活躍している誰かを応援する(応援出来る)存在であることに自分の存在価値を傾けていた。

自分の作品の価値は自分が尊敬し応援する誰かに役立てられるか否かで決まっていた。

そこにそぐわないものを描こうとすると、自ずからブレーキがかかってしまった。

存在の自己否定に続き創作の上でも自己否定に陥り、最早自分が自分をどうしたいのか、どうありたいのか、何が描きたかったのかを見失い、混迷するほどにわたしは孤独に絡めとられていった。

しかし何より辛かったのは、結局作品の上での「自己の欲望・願望の不在」だった。

肉感的な女性を描くことで自分の体の持つ逃れられない女性性を肯定することは出来ても、そこで自分の内奥に燻る欲求を昇華させることは出来なかった。

自分の描くものによって自分の本心を蔑ろにされるという傷付きの伴う行為に、ほとほと疲れ始めてた。

この欲求を蔑ろにしたままでは、「誰かのため」の作品を描き喜ばれても精神的な虚しさを振り解くことが出来ない。

しかし当時はまだ自分のジェンダー的な位置付けも分からず、病的な痩せ信仰に寄っていくような理想美は摂食障害を悪化させるだけで限界が有るように思え、そこに戻ることはしたくなかった。

植物を描いている時だけ、その絡まりこんがり切った不穏な苦しみから解放される気持ちがした。

植物の誰のためともいわず種子が育った場所で風に吹かれるまま勝手に咲いて勝手に散りし生きている姿を描いている時は、いっときだけ平穏を手に入れることが出来た。

しかしそれも一時的な逃避に過ぎず、人間として不定形で、他者にモチベーションを依存しないと何も描けず自立した精神を持てず、四半世紀経ってもまだ半透明な自分を抱えたまま独り都会で幽霊のように右往左往し、自身の一番奥深くに抱えた願望や欲求の捌け口のないまま手だけは必死に動かして、そしていつも空を掴むような気持ちに苛まれていた。

数少ない人との繋りだけは離さないよう必死に握りしめ、手紙などで細い糸が切れないようにやり取りを続けていた。

かつて誰にモチベーションを依存しなくとも描けていた世界を過去の記憶から手繰り寄せ、地元にいた頃に依頼を受けて描いていた連作を継続して描いたり絵本のワークショップへ通ったりしながら、自分の表現欲求を満たせるものは何なのかを必死で探し歩いていた。

その道程はとても孤独で、自分の居る場所も行くべき場所も分からない迷子のように心細かった。


続く


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