「当たり前」が覆る

こんばんは

もう10月になりましたね🎃

9月は1日も休まず毎日勉強できました、よかった
今後もがんばろう

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先日、お友達の結婚式に出ました

人生初の結婚式が尊敬する大好きな友達の式で、
挙式でその子が登場した瞬間わたし泣いてた笑

花嫁姿、言い表せられないほど素敵でした

本当におめでとう

人生の大切な瞬間に私も呼んでもらえて
こんな幸せなことはないなぁと
私も幸せを噛み締めていました



結婚式って、家族の手紙とかあるじゃないですか

本当に、両家のそれぞれのご家族の絆の強さ?を感じました
親が子を慈しむ気持ちも
子が親を慕い尊敬する気持ちも
素敵だなぁと心が洗われました

そして、これから新しい家族が作られていくんだなと、
その門出に立ち会えたことも光栄なことだなと強く感じました

良い日になったよ
本当にありがとう
おめでとう

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まるでそれはドラマを見ているかのようで
こんな幸せが本当にこの世に実在するのだと
打ちのめされておりました

わたし、親に感謝の手紙なんて絶対書きたくないし
なんなら裁判で訴えたいくらいです
(もちろん面倒くさいし絶対そんなことしない笑、、あと、虐待にも時効あるらしい)


子どもの時にされていたことを人に話すと
・毒親ですね(by ドクター)
・児相通報レベルやね(by 友達)
等々と言われるのですが

私にとってはそういう環境が当たり前だったので
なんか、私の中にあった概念がぶち壊されている今日この頃です

・私がされていたことは虐待だったのか…
・「幸せな家庭」って実在するんだ、「家族」って、思ってたより怖い所・悪い場所じゃないのかもしれない…

世の中、私の思い込み・歪んだレンズを通して眺めていましたが、
その歪みに気づけて良かったなぁと思っています
その修正は一筋縄にはいかないだろうけどね

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この頃は、もし国試に受かったら
精神疾患の公衆衛生的な予防に関わりたいとか、
孤立している人達のアウトリーチのような支援を行いたいなぁと思うようになりました

自分自身が子どもの時に支援者に会う機会がもしあったら、いま、向精神薬なんていらない生活を送れていたかもしれない

そして、もし私と妹を育てていた期間に母が支援者に巡り会えていたら、子育て等に関する悩みを話す環境に身を置けていたら、
私も母も幸せだったのではないか、
子ども時代の私も大人の私も幸せになれていたのではないか

と思うのです

母も母で大変だったのでしょう
だからといって許す気は全くありませんけど

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とりあえず、勉強の継続と、体調の悪化を防ぐよう努めつつ
日々コツコツとやるべき事に取り組んでいきたいと思います

あと、国試の勉強をしていると様々な事実・客観的データ・世の中の状況を知れるので
fact fullnessが出来ていて、
そうやって得た知識は国試だけじゃなく
私の生活にも役立ってくれそうな気がしていてとても楽しいです
(国試に受かるかは別の話よ!落ちる夢めっちゃ見る!!笑)

これからどうなるか不安ですが
苦しむ過程すら楽しんでやろうと思っています

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最後に

お友達の花嫁姿から
すごくパワーをいただきました

ありがとう

おめでとう

おめでとう

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