逆境的小児期体験 Adverse Childhood Experiences

こんにちは。

9月になり、秋の気配が近づいてきて、時間が流れるのが早すぎてびっくりしています。
時間が止まったらいいのに。

私は社会人になってから、色んなことがうまくいかないことが多くありました。ありましたというか、あります。現在進行形。

・物事を理解できるし分かってるのに、誰かと協働できないから仕事が溜まる
・人に質問できない(学校で自分が生徒ならできる、職場ではできない)
・人に頼れない 依頼できない
・人が怖い プリント一枚すら渡せない
・初対面で挨拶はできるが、そこから仲良くなっていく過程が怖い

・政府からの一律給付金などに対しても、自分がもらってはいけないと思ってしまい、申請できない

・知らない人と当たり障りのない話とかはできる
・怖さを堪えてポーカーフェイスで仕事をすることも、ある程度なら可能
・元気そうに振る舞えるし、笑顔も得意

・でも、身体がきつくなる、周りには理解してもらえない「仕事できてんじゃん、え、きついの?いつから?」

・(仕事で退職願を出した時、実習に行く予定をキャンセルしていただくよう打診したりした際は)元気そうに見えるのに不思議、なんで??とナチュラルに聞かれる、、いや、そう聞かれましても、本当に薬を飲んで自分を生かすのに精一杯の状況なんです…という気持ちになる

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いま、とても恵まれた環境にいるのに
向精神薬(SSRIとSNRI)をたくさん飲まないと生活すらままならないのはどうしてだろうとずっと思っていました。

例えば、残業が多すぎるとかパワハラ上司がいるとか、そういった環境のせいで精神的な不調が出るのは想像しやすいと思うのですが、

私の場合は自分の外にそのような原因がなく、勝手に自分の内側から何かが崩れてくるような感覚がしていたのです。

とはいえ、最初は自分の外に原因があるのではないかと思い、色々と模索していました。
日照時間と心身の状態に関連があるんじゃないかとか最初は考えていました。

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先日、専門学校の授業等が立て続けにありました。
授業はとても楽しくて、充実していました。グループワークやプレゼンは好きというか、昔頑張ってたおかげで好きになった。

しかし、私はその期間中、息が苦しく、胸が苦しく、喉が締められたような苦しさで困っていました。
比喩表現でなく、本当に身体が苦しくて、大変でした。腕に爪を立てて気を紛らわしてみたり、お茶をたくさん飲んで落ち着かせようとしてみたり、色々してた。
しまいには休憩中に過換気症候群まで起こし、教科書に書いてある通り、呼吸がコントロールできず、手足が痺れて、とても焦りました。
この時は誰にも悟られないように隠れてなんとかやり過ごしました。(気づかれてないといいんだけどなぁ…)

先生には色々と相談し、原因は?とも尋ねられましたが、最初は本当に分からなくて答えられませんでした。

この時、授業が楽しいはずなのに身体がついてこないことのもどかしさや、
薬を飲んでいるのにも関わらず身体が苦しいことに対する悔しさ、
そして、こんなことになっているのは何故なのか
ということをぐるぐると考えていました。

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いい機会なので、この時
過去・現在のことを色々振り返っておりました。

そして断片的に色々思い出しました。

子どもの頃常に劣等生扱いを受けていたこと、
身体的虐待があったこと(全く叩かれたりせずに育った子どもっているんですか?)、
叩かれた時に眼鏡が吹き飛んで、ぼやけた視界で床を這って眼鏡を探した記憶、
良いことがあった時などには「〇(私)のくせに」と母や妹に日常的に言われていて、幼い私はそれを真に受けていたこと、
母の顔色を窺いながら生活していたこと、
うちは貧乏なんだから・お金がないんだからとヒステリックに怒られながら勉強させられたこと、
そのくせに中学受験をさせようとしてきて訳が分からなかったこと、
習い事の家庭での練習なども、いつも怒鳴られながらさせられたこと、
自分の部屋に母や妹が近づいてくる足音が怖かったこと、
将来の夢は、一人暮らしか寮生活をすることだったこと、
体調が悪いのに薬を買ってもらえず友達にもらっていたこと、

中高生の時は学校にずっと居たくて19〜20時ごろまでずっと自習室にこもっていたこと、

自分さえできなければ、両親はどちらも別々の人と別なタイミングで幸せな結婚をして、幸せな人生を歩むことができたのではないか?とずっと思っていたこと、生まれてしまってごめんなさい、出来てごめんなさい、中絶してくれれば良かったのに、と思っていたこと、

そんな私が蔑ろにされたり叩かれたりするのは仕方がない、当たり前であると思っていたこと

高1の時、[I was born.]という詩にとても救われたこと(人は生まれるのではなく、生まれさせられるんだという内容の詩が現代文の授業で扱われた)、
学校が私の居場所だったこと

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これを読んだ人がどう思うのかは分かりませんが、
私にとってはこれらは当たり前すぎて
わざわざ思い返して整理するまで、なんかおかしいぞ?ということに気付くことが出来ていませんでした。

今でも、こんなことになったのは自分のせいなのではないかという気持ちもある。

このような経験・この時味わった感情等が、現在の生活に影響を及ぼしていると気付いたのは、これらの体験を整理し終えた後でした。

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