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神様に愛される方法

神様は、本当にいるんだろうか?
私はそばにいるなと感じたことがある。
これはオカルトでもなんでもないし、本当の話だ。ちなみに霊感はゼロ。

回りくどくても仕方がないので、先に書いてしまえば、神様から愛される方法は至極簡単だ。
「日頃から神のように振る舞い、神様に見合う人間であること」
たったそれだけだ。

そもそも神とはなんなんだろうか。
これを考えるにあたって、意味を考えていかなければならない。

軽く調べてみればこんな感じだ。
(山口謠司 漢字で読み解く日本の神様 CCCメディアハウス 2019 より参照)

「神」とは稲妻のように不可知な自然の力や人智では把握できない尊ぶべき力のこと。
漢字には、示偏に申を使う。
示偏とは、祭壇であり、申は雷が落ちる様子を表している。


残念なことに、不可知な自然の力は近年、科学で解明されてしまっているが、要は人智を超えるものの総称として、捉えることができるだろう。

近しいものは、悪神である「鬼」で、昔の人は見えないものを「隠」、オニと呼んだ。
病気などの総称だ。医学も発展していないので、大病すればひとたまりもない。鬼に殺された、人の力ではどうにもならないと。
せいぜい、神の御加護を願い、神に愛されなかった、或いは神に愛されすぎて、天国へ向かう患者を看取ることしかできなかったのだ。

さて、我々も神を、鬼の例のように定義付けしなければならない。
私は「運」だと思う。
なぜなら、前述の大病から回復すれば、運が良かった、神様のおかげだというだろうし、そもそも「運」とは人の力の及ばないものであるから、「神」の意味に近しいものがある。

そして、神を運だと捉えると、辻褄が合うことが多い。
例えば、ガチャ運が良いと神引きと言い、願いが叶えば、運が良かった、神様のおかげだと言う。
我々が運がいいと言うものを、神のおかげだと言っても、意味は通るのである。

では、運がいい、神のおかげとはなんなのか。
よく、優れた人間は運が良かったと結論づけるという話を聞く。

例えば、
この仕事結果は、メンバーに恵まれたからだ、運が良かった。
運良く、1位になれた。
素敵な妻、夫に出逢えた、運が良かった。

しかし、これらは全て日々の努力の結晶である。
メンバーを気持ちよく仕事させたこと、優れたメンバーを引き当ててもらえるだけの努力と結果を今まで出してきたこと。
1位になるだけの努力をしてきたこと。
素敵な妻、夫に似合うだけの人間になる努力をしたこと。

こうして、運は知らず知らずのうちに自分で引き寄せている。
つまり神に愛されたいのであれば、努力する必要がある。見合う人間になるために。

神に願うだけでなく、努力したら神様が助けてくれると言う。
必ず、良い運として、神は我々の元に運ばれてくる。
神は自分自身の努力の結晶であり、運だからだ。
神のように振る舞い、人を愛し、愛され、完璧な人間であろうとする、さすれば神に愛される。

時には、辛い思いをしなければならない、努力や辛抱をしなければならない。

神に愛されたいのであれば。

一体だけ、運で説明できない神がいる。
それは、我々がこの世に生まれたことだ。我々はなにか努力しただろうか?
何もせずとも、この世に生まれてきた。

これは運とは呼べない、神の努力だったかもしれない。
その努力に感謝し、我々も努力することで、運という神と共に、我々が、この世に生まれた意味を、この世に生きる意味を見つけられる。
生まれた意味を、生きた意味を、我々が死ぬ時、神にお返ししようじゃないか。



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