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『教養としての「地政学」入門』を読んで

『教養としての「地政学」入門』を読んだ感想

ウクライナ問題が気になり、地政学について頭を整理しようと思い、出口治明さんの『教養としての「地政学」入門』を読みました。
感想としては、あくまで教養として読もうと思ったのでちょうどよかった面もありますが、歴史的な記述が詳細(マニアック)で、一般的な社会人の教養レベルを超えていそうだなとも思いました。とはいえ、出口さんの豊富な知識と洞察に驚かされ、気軽な入門書よりは読み応えがあったという感じです。
現在の世界情勢、国際政治・経済などの概要については池上彰さんの本(知らないと恥をかく世界の大問題12、13)などで知識を得ながら併せて読むとより良いかと思います。

僕は大学生の時は国際政治を専攻していたので、本書でも参考文献に挙がっているモーゲンソーやウォーラーステインなどを勉強していました。なかでも、田中明彦先生の「新しい中世」に非常に惚れ込んでいたのをよく覚えています。あれから20年以上が経ち、当然世界システムの様相は大きく変化しただろうと想像しながら、社会人になってから国際政治理論の勉強は全くしていないので、改めて教養レベルで勉強してみようと思っています。

ウクライナ・ロシアの状況も鑑み、さらに『教養としての「地政学」入門』を読んでみて感じたことは、冷戦が終わってから30年以上経ち、デジタルな世界も広がっている中で、バランスオブパワーのようなリアリズム的な考えはさすがに時代に合わなくなってきたのかと思っていましたが、地政学的な観点からみれば、まだバランスオブパワー的な発想は無くならないのだろうということです。

僕はIT屋さんなので、ITやデジタルで世界が変わっていく方にどうしても注目してしまいます。ITやデジタルの世界では国境はないため、当然地政学はありません。メタバースやWeb3などもこれからさらに発展していけば、ますます国境のないデジタルな世界が世の中を席巻していくのだろうと想像しています。しかし、まだまだ地政学は重要だということを改めて認識しました。本書にもある通り「国は引越しできない」のです。人が生活するためには食料や様々な資源が必要なわけで、国際的なレジームがこれらの問題を上手く解決できれば良いですが、なかなかそうもいきません。地政学的な問題が残るのは冷静に考えれば当たり前のように思います。

デジタル世界と地政学的な世界が分離して発展するのか?

デジタル世界の層と地政学的な層がそれぞれ分離して、独自の展開されていくことになりそうな感じですね。メタバースやWeb3などのデジタル世界に地政学の論理が持ち込まれてしまうとデジタルの価値が半減してしまうかと思うので、分離して進んでほしいと願っています。

ただ、現状ではデジタル世界を創っているのも「人」です。「人」というリソースはデジタル世界と地政学的な世界では共有することになるため、デジタルと地政学が完全に分離するとは言えなさそうに思います。ウクライナはIT企業が多くあるため、ウクライナの会社がになっていたデジタルの部分は戦争による影響を受けているだろうと想像します。

宇宙空間には各国の主権は及ばないと思うので、今後は宇宙空間も含めて世界システム的な枠組みを考えることになるのでしょうか。興味が湧いてきました。

デジタル空間の主権問題について気になって適当に検索したら以下の論文を見つけました。
https://src-h.slav.hokudai.ac.jp/publictn/JapanBorderReview/no5/pdf/02.pdfこの論文にある通り、デジタル空間が動いている物理的なサーバを紐づけるかどうかで変わってきますね。この問題は将来は他人事では無くなってきそうなので、注視しておこうと思います。

地政学からデジタル空間の主権問題まで話が飛んでしまいましたが、『教養としての「地政学」入門』を読んで視野が広がったように思います。

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