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【法話】芥子の実のお話

 

ご存知の方も多いかもしれませんが
心に残る法話の1つ

その昔、インドでキサーゴータミーという女性がおり
長く待ち望んで生まれた第一子が、1週間も経たないうちに病で死んでしまいました。

キサーゴータミーはショックのあまり気がふれてしまい
赤ちゃんを胸に抱いたまま
「どうか私の赤ちゃんを生き返らせてください」と言いながら
街中を彷徨っていました。

その彼女の姿を見てある方が
「あちらの森にお釈迦様が来ておられるよ。そちらにお願いしてごらん。」と伝えてくれました。
たくさんの人々の前で説法をされていたお釈迦様の前に現れたキサーゴータミー。

気がふれた女性が来たと思った人々は彼女を追い出そうとします。

するとお釈迦様は
「こちらへおいで」と彼女を招き

泣いている彼女に
「さぞ辛かっただろう。気の毒だ。私が子供を蘇らせてあげよう。
 その代わり、それには芥子の実が必要だ。町へ出て芥子の実をもらってきなさい。」

彼女は「そんなことで良いのなら、喜んでいたします。」と話します。

更にお釈迦様は続けます
「その芥子の実は、1人も死人を出したことの無い家からのもので無いと駄目だ」と。

承知した彼女は、喜び勇んで急いで街へ繰り出し

1軒1軒家を訪ねては
「どうか芥子の実を分けてください。それがあれば私の死んだ赤ちゃんが蘇るのです。」とお願いをします。
そういって懇願する彼女に、人々は快く芥子の実を分けようとして下さいます。

彼女が「お聞きしますが、この家で亡くなった方はいないのでしょうか?」と聞くと

「うちは先日おじいさんが」
「息子が事故で」
「父が病で」などの返事ばかりが返ってくる。

彼女は諦めず何軒も訪ねますが
結局死人が出ていない家などどこにもなかった

その時彼女は気づいたと言います。
「そうか、世の中には愛する人に死なれたことの無い人はいない。
 私は自分の赤ちゃんが死んでしまったことで嘆き苦しんでいた。
 だけど、世の中には同じ苦しみをした方がたくさんいて。皆その苦しみを乗り越えてきているんだ。」

そして彼女はすぐにお釈迦様の元へ戻り
「芥子の実は見つかったか?」というお釈迦様へ対して
「いえ、お釈迦様。もう芥子の実は必要ありません」と答えたと言います。

その後のキサーゴータミーはお釈迦様へ帰依して
立派な尼僧になったというお話。

人はどうしようも無い悲しみ、苦しみにぶつかったとき
我をわすれて、痛みもがきどうしたら良いのかわからなくなる時があるのだと思います。

そんな時は、「どうして私だけが・・」と周りが羨ましくなったり
自分だけが不幸だと思ってしまう。
その時のその気持ちは仕方がないのだと思います。

だけど、周りを見渡せば
自分と同じ苦しみを抱えていたり
別の苦しみで悩んでいる方もたくさんいる。
だからといって、その時の辛さ苦しみはすぐには拭えないとしても

どうか、その時にできる限り冷静に
今だけが全てではないことに気づいて。

きっと世の中にはたくさんの気づき、教えが広まっていて
あなたが楽になる糸口は必ずどこかにあります。

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