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果たして人生に目標は必要なのか

「生きる意味を突き詰めると、人間は”無”なので生きることそのものに意味を見出さない方がいい」なんて言葉を見つけた。
確かに、何か大きなことを成し遂げたら、後世に残る発明を残したら、世界の何かに役立つことをしたら、生きた意味があったとなるのかもしれない。
けれども本当に突き詰めると、それはあくまでも「人間」という世界の話で合って、大きな世界の営みの中ではおおよそなんの意味にもならないことだったりする。

こういうことを言い出すと、もう哲学の域なのだけれど、何かを為すために目標は必要かもしれない。例えば小さなところでは、会社の成績を達成するだとか、5か月で10キロダイエットするだとか、「一つのことを達成する」ためには、きっと目標があったほうが頑張れる人の方が多いのかもしれない。

 

けれども「生きる」ことに関してはどうだろうか。
わたしは実を言うと、死ぬまでに成し遂げたいことなんて大きな目標は持っていない。それは、目の前の1日を生きることに一生懸命になりすぎているからとかいろいろな理由があるのだけれども、そもそも生きることに目標が必要ないと思っているからかもしれない。

だからといって、生きることに対して目標を設定している人を否定しているとか、バカにしているとかそういうわけではなくて、むしろすごいと思っていることは間違わないでほしいのだけれど。

この世に生を受けて、そして死ぬまでに「何か一つのことを為すため」に生まれてきたとはどうも思えなくて、というか為す必要がないと思っているから、わたしは生きるにあたって目標を達成するために生きるのではなく、自分のために、自分が楽しく死ねるために生きようとしている。

 

もちろんこれも一つの目標だといわれたらそうなのかもしれない。
それでもわたしはなにか一つを為すためよりも、自分が楽しくなるために生きて行きたいなと思っている。

ゆるーく、きままに。

だいぶ自分勝手だけれども、たった80年ぐらいの人生なんだからそれぐらい許される気がしている。

過去にも生きていくのが辛くなったこともあったけれども、そういうこともひっくるめて、生きててよかったなと思えるように生きていけたらいいな。

 

まるで病んでいるみたいなnoteになってしまったけれども、決してそういうわけではなくて。

ポジティブに、前向きに、わたしはわたしの人生を生きていこう。

きっとこれは、未来のどこかでちょっと辛くなってしまう出来事が起きてしまったときの自分へのエール。

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