嬉しいことを上手に報告できないわたし
例えば大きな仕事が決まったり、出会いたい人と出会ったり、そういう嬉しいことを自分のことでもなかなか上手に報告できなかったり、しっかり自分のこととして喜んだり、そういうことがへたくそなのだけれど、そんな私が嬉しいと思ったことがあった。
それは大きな仕事が決まったとき、近況報告として定期的に連絡を取っている友達に、そのことを報告したら、わたし以上に喜んでくれたのだ。
「嬉しい!」を上手に報告できないわたしの代わりに、こんなにも喜んでくれる友達がいることに驚いたと同時に、妬み嫉みなしに、純粋に祝ってくれる友達のことを大切にしたいと思った。
以前からそういう友達がいなかったわけではない。
高校や大学の入学を喜んでくれた友達や、留学が決まったときに喜んでくれた友達、就職が決まったときに喜んでくれた友達……。
人生の節々で「成功」に一緒に立ち会った友達は、みんな変わらずそのことを喜んでくれた。
けれども、大人になるにしたがって、いろいろとめんどくさい感情が付きまとってくる。
仕事の成功や、結婚、出産たくさんの人生の選択が増えていく中で、それを手にしたくてもできなかった人や、選択を間違ったりする人もいる。
そんな中で「成功」という事実は、一部の人から妬まれることも少なくない。
いや、多くはないけれども、少なくともわたしはそういう場面に出くわしたことが何度かあった。
そのたびに成功は隠さずとも大っぴらにするものではないのかもしれないという想いを抱えたり、もしかしたらこの道を選ばなかったらこれまで通りその人との関係を保てていたのかもしれないと考えたりしていた。
また別の友達からは「そんな人とは距離を置いた方がいいよ」なんて言われていたけれども、なかなかぴんと来てないのが正直なところだった。
それでも、今回こうやって友達がわたし以上に喜んでくれているのを見て、きっとこういう人と一緒にいると、本当にやりたいことに遠慮せずに私の生きたいように私らしく生きられるのかもしれないと感じた。
子どもの時のように、クラスが決まっていて、その中で人間関係を気づいていかなければいけないわけじゃない。
大人になればなるほど、自分が関われる人を選べるようになるし、自分が飛び込む世界を選べるようになる。
それなら、誰かに遠慮しなければならない世界じゃなくて、自分の思うように前に進める世界を選んでもいいのではないか。
昔の友達と距離をとるわけではない。
自分のことを胸を張って報告できる友達と一緒にいられるように、もっともっと頑張ろうと思った。
そして次は自分でしっかり喜べるようになれればな。
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