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言葉を紡ぐわたしが、言語を覚えることをやめた日

わたしは実は多言語話者だったりする。

母国語の日本語に、日常生活に支障がないぐらいは話せる英語とドイツ語。そして、旅行会話程度なら話せるタイ語。いろいろな国へ旅に行ったり移住したりをしているうちに、気づいたらマルチリンガルになっていた。
でも、だからといって言語学習が好きなわけではない。むしろ、暗記ができないわたしにとって言語学習は苦手中の苦手で、一度だけ受けたことがあるTOEICは450点ぐらいだった。

それでも日常生活に困らないぐらいの英語を話せるようになったのは、きっと「言語を覚えること」をやめたことがきっかけになったのではと思っている。

 

そんなわたしにとって、言語は旅や現地の生活をより便利なものにしてくれるツールの一つ。例えば買物に行く時に、歩いていくよりも自転車で行く方が、自転車でいくよりも車で行ったほうが便利なように、海外に出ると、日本語よりも英語の方が、英語よりもその国の言語の方が快適に旅や生活ができる。

ドイツもタイも、英語だけでも生活することができたけれども、それでもその国の言葉を学んだのは、ずぼらなわたしが買い物に行くのに億劫にならないように、と、車で買い物に行くために他ならない。

 

けれどもやはり言語学習は苦手だった。単語はなかなか覚えられないし、文法だって完璧に使えるかといわれるとそんなことはない。
やってもやっても終わりが見えない道に、飽き性のわたしはすぐに飽きてしまった。

その時、わたしは言語を「覚える」ことをやめた。

気を張って覚えたところできっとわたしはすぐに忘れてしまうし、こつこつ何かを積み上げることが苦手なばかりに、根詰めるとすぐにやめてしまう気がした。

言葉を紡ぐことが好きな私は、言語を覚えることをやめた。
あくまでも生活の一部として言語を編み込んでいく。

そうやってわたしらしく言葉と一緒に生きていくようにした。

 

「旅に言語は必要か?」

よくこんなことを聞かれる。
使い古されたありきたりな結論だけれども、わたしの答えは「絶対に必要というわけではない」。
それでも、言語があると旅がより充実するのは間違いないし、万が一旅先でトラブルに遭遇した時に助けれくれるのも言語だ。
だからといって、無理に何かを覚えて習得しようとしなくていいのではというのが私の考え。

 

旅の中に、普段使っている言葉ではない異国の言葉を細く、ほそく、織り込んでいく。

その少しの変化が、きっと旅に新しい「彩」を与えてくれるから。

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