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10歳の寝息とともに。わたしが10年間やめられないこと。


わたしはいまだ夜中に数回、目が覚める。
娘が息をしているか
暑くないか寒くないか、
お腹を出して冷やしていないか。

2023年6月、娘は10歳になったというのに
わたしはいつまでこんな事をしているのだろうと
本当に思っている。
思っているのに、気にかけてしまう。
細胞に染みついた習慣。

無意識中の無意識なのだと思う。
だって本当は朝まで熟睡したいもの。

いや、でも本当の本当はこの時間が
いつか終わりを迎えることが分かっているから
あえてそうやって自分をコントロールしているのだろうか。
分からない。

けれど、確かなことはそうやって夜中に
目が覚めてチェックをすること自体を
わたし自身が嫌だと思っていないということ。
他の誰かに睡眠を邪魔されることなど
絶対に嫌なのに、彼女の脚が乗っかってきても
重いけれど、そのまま寝られるほど大丈夫。

ただ、これまでの一桁誕生日よりも
10歳 というのはなにかが変わった気がする。
色々変わり始めていることは
肌で感じる。


ひとりっ子なのもあるのか
親との距離は近いと思う。
少なくともわたしの子供時代より
近い気がする。

それは良くも悪くもどちらでもないけれど
わたし自身、目を向ける対象がひとりな故に
娘の世界に土足で入り込むことがあるなと
気づいていた、ここ最近は特に。

もしかしたら知らなくても良い事を
知ろうとしているかもしれないと思ったし
やらなくて良い事をやっている可能性も高いなと。

それもあって、見える形でいくと
習いごとの見学をやめたり
学校である希望制の個人懇談はパスしたり
している。
距離の調整をしている。

とりあえず習いごとのダンスは
見学をやめてみて、今のところ良い感じ。
スクールでは終了10分前から
保護者の入室が許可されて、その際動画を撮っても良い。

ずっと当たり前のように撮っていた動画。
娘が自主的にそれを見て練習するなんて
稀であった。

ある日、これは何のためにやっているんだと。
わたしの自己満足に過ぎないのではと
気付いてからは、彼女に私のスマホを持たせ
自分で動画を撮ってくるようにした。
自主的に撮ることは意識に大きな変化を与えていると感じる。

ちなみにその間、わたしはスマホ無し時間が
でき、とても、良い◎

素人目かもしれないけれど
この数ヶ月でダンスの上達スピードが上がったと思う。
クラスをもう一つ増やして
歳上の人たちと時間を共にしているのも大きな変化なのかなとも思うのだけど。


個人懇談に関しても
わたしはきっと先生に要らぬことを
言ったり聞いたりしてしまうだろうから
今回の希望制はパスした。

これまでも実は特に聞きたいことってなかった
気がする。
だけど、場が設けられるとつい課題をつくろうとしてしまう私のいけない癖。
そんなの思っていないのに心配するような
ふりをしてしまう、のでやめてみた。

今のところ、学校には楽しく通っている。
きっと日々色々はあるのかもしれないが、
いや、多少はあると思うけれども
自分の中で調整していると感じるし
顔色は良好だ。

この前の授業参観も
1番後ろの席である娘に近づき過ぎないように
廊下から見守った。
わたしの視線は廊下からでもビンビン感じたそうだけど。
でも距離感はとても良かった◎

母の存在は感じていたいが
近すぎるとプレッシャーになることもある。
邪魔をしてはいけないと思いながらも
まだまだ邪魔してしまっていることが
たくさんあると思う。

ただこの距離感に教科書はないし
正解もないわけで、
自分たちの今を見ながら調整していくしかない。
やりながらベストを見つけていく感じだ。
そのベストも動く。

だから、せめて
夜中はそばで見守らせてもらおう。
寝顔の表情からなんとなく色々見える気がするのは気のせいかしら?

きっと近いうちに一緒に寝ることもなくなりそうだし、それは突然訪れそうな気がする。

見えないもっと大きな部分で
つかんでいけたら良いなと思う。


息してるかな?
汗かいていないかな?
お腹冷えてないかな?
雷で起きちゃわないかしら。

もう10年も経つんだな。
どんどん手が離れていくのが
たくさんの現象をもってわかりすぎるけれど
寝ている時だけは
赤ちゃんの頃と何も変わらない習慣。

10年でかなり顔つきは変化してきたけども
寝顔だけは変わらない不思議。

今日も隣で娘の寝息を聴きながら。

ハッピーバースデー!




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