粟津潔展についての記事 (2019年)

タワーレコードのIntoxicateのために書いた粟津潔展についての記事がネットで見れるようになりました。この記事には書かなかったが、粟津潔さんと話す機会がたくさんあり、仕事を一緒にいくつもやってきた。
今回の金沢21世紀美術館の最後の一番大きな展示室で、天井に近いところに飾ってある天使の姿のいくつかの絵はAyuoのCD「Nova Carmina」(1986年)のジャケットと歌詞カードにも描いて頂いた。

2001年頃にアメリカのネイティブが古代に描いたロック・アート(石に刻まれているアート)の展示会を粟津さんが企画した時にも音楽を作ったり、ライブ・ペインティングと共にライブの音楽を演奏した。この頃に、絵から字がどのように作られてきたかの話を粟津さんと一緒にした。粟津さんは人間そのものに好奇心が強い人で、古代のフェニキア人の作った現在のアルファベットの元になる字の形から古代中国で作られた漢字の元の絵の発想にも深い興味を持っていた。僕も歴史の話が好きで、このような話しにインスパイヤーされる芸術を作り続けている。

アメリカのレーベルTzadikから2000年代に出た3枚のCDも粟津潔の描いた絵が表紙になっている。僕自身は粟津潔が勅使河原宏、寺山修司、篠田 正浩の映画や舞台の美術やポスターは中学生の頃から好きで、芸術的な刺激を多く頂いた。
そして、12年前の金沢21世紀美術館での粟津潔展では5回ほど金沢に行ってライブ演奏から図形楽譜ワークショップをやって来た。その時に知り合った人たちも多く、今年の9月15日には21世紀美術館の側のカフェ、Kappa堂でライブをやることになり、12年前のその時に知り合った音響の人などが協力をしてくれることになった。

この記事では、しかし、このような個人的なことは書かなかった。むしろ、芸術を作る思想にについて書いた。記事の前半では、粟津潔さんと話したいくつかのトピックが含まれている。記事の後半では1990年代から僕の考えの中心にある現代科学(特に遺伝子科学)、心理学と哲学とそれによる僕にとっての未来のヴィジョンについて少しふれている。

現在の時代は1960年代や70年代よりも全く違った世界に向かっているが、一部の歴史学者、科学者、思想家等以外にはなかなか見えていない気がする。それには一つに世の中がもっと複雑になっているからだ。
インターネット、GPS、AI、仮想通貨、機械化とロボっト化が発展している時代は19世紀の目や20世紀の目では判断できない。経済システムもマルクス思想で見えるよりも複雑になっている。

僕自身は毎日最新の科学ニュースを読み、様々な現代の哲学者の文章を読み続けている。これが現代において芸術をやって行くに最も必要なことだと思っている。先日、紹介したサスピリアの映画監督ルカ・グアダニーノやその音楽家トム・ヨークが新しいのは、作品から今の時代に必要な要素を人々に与えているからだと思う。

1960年代から70年代には、その時代の新しい科学や社会の問題を考える芸術家がいたが、一つの左翼的な思想だけに流れる傾向が強く、全体の世の中の動きを客観的に捉える能力を失って行った。一つのイデオロギーに関して宗教的にも感じられるようになった。そうした危険性があるために科学的なアプローチが必要となる。

なお、今回の金沢21世紀美術館での展示会では韓国のシンガーソングライター、イ・ランのパフォーマンス等、いろいろなイベントがあるようだ。この記事に、そうしたことが触れていないのは、この記事を書いた時にはそうした情報が僕に入っていなかったからだ。先月、デザイナーの軸原ヨウスケさんとと共に横尾忠則現代美術館や京都と岡山で演奏した時に、彼から初めてイ・ランの音楽を聴かせてもらい、もしも先に知っていたら、記事に紹介したかったと思った。
ぜひ見に行ってください。

Intoxicateのために書いた粟津潔展についての記事へのリンクです。

https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/22004

デザインになにができるか?

 芸術はその作り手の思想を表現したものである。古代の壁画で見れるロック・アートも、女神や神々の彫刻も、教会で歌われる歌も、ワグナーやベルグのオペラも、ビョークの歌もそうである。思想が奥深くにない芸術は、すでにあった芸術の形を真似した表面的なものだけで終わってしまう場合が多い。思想はその作り手が生きている時代の社会に影響を受けているために、次の時代になると作り手さえも想像しなかった解釈がついてしまう場合もある。その時代の哲学、科学、政治、社会とその人の生き方が影響しているからだ。

 デザインはいわば人間の生き方を教えてくれる。そこが一番面白いことだったと思う。職業のためだけに考えるとつまらない。生き方を考えることでは、デザインはまさに僕自身だと言わざるを得ない。(粟津潔『粟津潔のブック・デザイン』)

 12年前に金沢21世紀美術館で大きな粟津潔展があった。その時には毎週のように谷川俊太郎、一柳慧、小杉武久、篠田正浩等、日本の戦後の芸術を作り上げた人たちが集まりイヴェントを行った。粟津潔は戦後の日本を代表する芸術家たちとコラボレーションをし続けていた。戦後の日本の新しい芸術を代表するアーティストである。絵描きとして仕事を始め、グラフィック・デザイナーとして知られ、寺山修司の演劇や映画の美術、篠田正浩の映画の美術等、粟津潔の仕事は日本の戦後の最先端でありながら、その時代を代表する最も素晴らしい芸術作品を作り続けていた。

 芸術の一つの役目には、人に問いをかけて考えさせることにある。作品を通して人が自分の人生について、人間について、生きていることについて考えさせるのだ。だからこそ、見る時代、聞く時代によって、同じ作品は別の意味を持ってしまう。人間社会に普遍的なものはないからだ。デザインをする、音楽を作る、舞台作品を作る、映画作品を作るという行動の後ろに人間とは何か、そして歴史的に何をしてきたのかを研究しながら、自分の生きている時代で新しい作品を作って行くという面白さがある。古代フェニキア人がどうやって文字を作ったか? 壁画のアートにどういう意味があるか? こうしたことは粟津潔のデザインする文字やアートの深いところにある。これは「線を描く」というシンプルな行動からも始まって行く。今回も展示されているが、粟津潔に「線」というテキストがあり、その言葉には絵を描く行動の最も根源的な意味が含まれてあって、僕の最も好きな言葉の一つだ。

『線。一気にひいた線。どうでもよい線。美しい線。蛇のような線。渦巻く線。左右。ヘンチクリンな線。静まり返った線。目に見えにくい線。目に見えない線。約束を失った線。精一杯愛をひきづって行く線。希望を失った時の沈黙そのままの線。言葉を失った時の静まり返った線。楽しげに流行歌を歌うリズムの線それの私の笑いに満ちた線。きれぎれの線。突然ヴァン・ゴッホのような太い激しい線、消える線、 現れる線。実在を組成する生命の形相は変化。われわれは変化の中に取り巻かれている。』
同じ展示室に篠田正浩や寺山修司との仕事のポスターや本が飾られてある。勅使河原宏の映画のタイトルに書いた文字を画面で見れる場所がある。

 絵を描くこと。自分で働くこと。社会を変える運動をおこすこと。その三本立て、三つの方向で生きていました。しかし、やはり絵をしっかりやらないといけない。そう思うと、毎日のように絵を描くように心掛けていました。(粟津潔『不思議を目玉に入れて』)

 今年の4月にユヴァル・ノア・ハラリという歴史学者がマーク・ザッカーバーグ(フェイスブックやインスタグラムの発明者)との対談で語っていたが、私たちが住んでいる今の時代のキーワードは生命科学である。生命の鍵を解いて、人間はどう考えて行動をして、意識とは何か、という研究に基づいてIOTやAIがあるからだ。IOT、AI、GPSによって、かつて人間が経験しなかったほどの時代には入りつつある。そしてSNSの裏にも、その研究の結果が使われている。友人に書く言葉やグーグルで検索する言葉はアルゴリズムに入り、その人の脳の使い方や心理が分かって来る。近い未来ではガンを始め、多くの病気もAIによってより早くその初期症状が発見できる。

 かつて、スティーヴィー・ワンダーや不自由な人のためにキーボードを製作したカーツェルは機械が人間の一部になる新しい人間をデザインする研究をグーグルでしている。中国では遺伝子を組み替えてスーパー・ベービーを作ったと発表された。GPSの自動運転、ロボット化、AIは50%以上の失業者を作るだろうと英国新聞ガーディアンでも発表されている。

 労働者階級は「役に立たない、必要のない階級」に変わり、18世紀から19世紀で普遍的に思われた社会や国家の考え方もここで崩れることになる。

 これは人間全てに影響を与えて、社会だけではなく、人間そのものを変えてしまうだろう。

 今の時代のナショナリズムの運動も、極左極右の運動も、これからの時代に対する恐怖から来ているように見える。ハラリも言っているように、「民衆」「民族」という現在のアイデンティティーは18世紀の近代国家のために作られたモノであり、本来は幻想である。それ以前には村社会や部族社会があった。ザッカーバーグにとっては未来のグローバル社会を目指して、SNSを作ったが、保守的になろうとする今の時代をどう超えるかが一つの問題になっている。現在は1930年代と違い、ファシズムやスターリニズムの繰り返しにはならないと思う。向かっているのはハクスリーのブレイヴ・ニュー・ワールドのようなバイオテクノロジーのディストピアかもしれない。

 マルクスよりもヘーゲルの方が現在にふさわしい文章を書いているという近年の思想家の発想はここから来ている。フランス革命の次にはフランス帝国や王国に戻ったように、時代の思想は常に一つの端っこから反対側の端っこへと進んでいく。未来は常にそのように進んでいるとヘーゲルは見ていた。

 この展覧会を見に行くという意味には、過去の時代のノスタルジアに入るより、今の時代ではどうしたら良いかを考えることにある。その答えそのものはそこにない。考えさせるというアートの最も重要なきっかけがそこにある。

粟津潔(あわづ・きよし)
1929年東京都生まれ、2009年神奈川県川崎市にて逝去。独学で絵・デザインを学ぶ。1955年、ポスター作品《海を返せ》で日本宣伝美術会賞受賞。戦後日本のグラフィック・デザインをけん引し、さらに、デザイン、印刷技術によるイメージの複製と量産自体を表現として拡張していった。1960年、建築家らとのグループ「メタボリズム」に参加、1977年、サンパウロ・ビエンナーレに 《グラフィズム三部作》を出品。1980年代以降は、象形文字やアメリカ先住民の岩絵調査を実施。イメージ、伝えること、ひいては生きとし生けるものの総体のなかで人間の存在を問い続けた。その表現活動の先見性とトータリティは、現在も大きな影響を与えている。

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