1986年に「ジャンルを超えて」というコンサートで演奏した。企画は秋山邦晴だったが企画の手伝いをしていた。その時に、最も曲を演奏する許可をもらいたかったのは、このポポル・ヴー。当時、最もジャンルを超えたレコードのリリースをしていた。1970年代ではシンセサイザー・ミュージック、サイケデリック、プログレッシヴ、インプロヴィゼーション、1980年代では映画音楽、ニューエイジ、ワールド・ミュージック、1990年代ではクラブ・ミュージックのジャンルに置かれていた。しかし、本当は、どのジャンルにも入っていなかった。彼らの音楽は全く商業的な要素を無視しているからだ。日本で当時少し近い存在があったとするとジャズ評論家として知られていた間章さんが一時期マネージメントをしていた小杉武久の「タジマハール旅行団」かもしれない。ポポル・ヴーが面白いと言って、僕にアルバムを貸してくれたのは間章さんだった。中国人女性シンガーがいる室内楽とミニマルの要素を取り入れた他にはない不思議なドイツのグループだと言っていた。彼は当時、日本コロンビア・レコードでタンジェリン・ドリームやカンなどのドイツ・ロックの解説を書いていて、彼のお誘いでタンジェリン・ドリームとカンのアルバムのための座談会を当時のアルバムのためにやった。
間章さんの解説文章は過激だった。タンジェリン・ドリームのメンバーに電話をして、この曲を思いついた時にどんなドラッグをやっていたかを聞こうかな、と平気で書いていた。
1985年には、誰に連絡を取ったら良いのか分からなく、出版会社に連絡したが、返事はなかった。ポポル・ヴーがどういう人たちかも分からなかった。コンサートではウィム・メルトンの曲以外にもAyuoの「水色の鏡」などを演奏した。当時も今でも、時々Ayuoの室内楽の作品やアコースティック・ロックの曲はポポル・ヴーと共通点を感じさせると書く人がいた。特に海外のライターからはそうだった。リーダーのフロリアン・フリッケが亡くなった後にやっとメンバーの正体が分かった。フェイスブックのポポル・ヴー・ファン・ページのプロフィール写真のメンバーは次の通り。
写真の左はヴォーカルのDjong Yun.最後にネットに載っていた情報によると Isang Yun Peace Foundationのディレクター。ドイツに長らく滞在していた韓国人の現代音楽の作曲家、イサン・ユンの長女。1970年代前半から70年代半ばまでポポル・ヴーのシンガーをやっていた。その後は父親のイサン・ユンの音楽について語る以外は全く音楽の世界では活動していないようだ。そして、その現代音楽の世界ではポポル・ヴーのような音楽が認められる世界ではない気がする。この時代のことをどう思っているのだろうか?
写真の左はドラムとギターのDaniel Fichelscher. 第二次大戦争後にいち早くアメリカン・ジャズをベルリンで演奏し始めたドラマー、Toby Fichelscherの息子で、幼い頃から父親のグループで演奏していた。ダニエルは持続音とメロディーを中心としたスタイルで弾く。ベース・ラインはないので、コード進行もあまりない。常に同じ一つの音が持続音になっている。中世吟遊詩人の音楽スタイルや世界各地のモーダルな音楽のような響きがする。1970年代半ばのポポル・ヴーの曲や映画音楽にも彼の作曲作品が多い。Ayuoの「Nova Carmina」のロック風の曲では彼のギター・スタイルがヒントになっていた。
真ん中がリーダーのフロリアン・フリッケはクラシック・ピアノを学び、ドイツを代表する映画監督ヴェルナー・ヘルツォックの10代からの友人で、ヘルツォックの初期の映画でショパンやモーツァルトを弾いている場面が映っている。1960年代後半にインド等の国を旅行するワールド・トラベラーになった。そこでラーガ、ヨガ、マントラのチャンティングなどに影響を受けて、それを自分の音楽に取り入れた。モーツァルトを演奏するCDも発売されている。一番極端な音楽では古代の儀式音楽のようにチャンティングとパーカッションしか入っていない。
彼はインドの旅行に影響されて、マントラを唱えるコンセプトで「ミニマル」風の作品をたくさん書いていた。映画音楽の「ノスフェラトゥ」や「フィツカラルド」ではそのコンセプトで室内楽や合唱団の曲を書いた。
フロリアン・フリッケによると、1970年代のポポル・ヴーをやっていた頃はみんなヒッピーだった。お互いの家に遊びに行って、自由に音楽のセッションをやったりしていた。それを録音することから始めた。Djong Yunがメンバーだった頃はライブをいくつかやったり、テレビにも出たが、その後はスタジオ・レコーディングのみのグループになった。そして、ヘルツォックの映画音楽が仕事の中心になった。
メンバーはロックでやって行きそうなバックグラウンドから来ていない。ヒカシューのキーボードを一時期やっていたドイツ人の作曲家トルステンは、Popol Vuh はロックではないと言っていた。インド音楽に影響受けたドイツのクラシック系の作曲家が、インド音楽と宗教的なマントラをヒントにジャズ、ロック、クラッシックなどの様々な音楽家とその同じ一つのコンセプトでコラボレーションをやっていた。
ポポル・ヴーの音楽がどのジャンルにも入らないのはこうしたセッションから始まったからだと思う。50年後の今でも、この時代を代表している音楽だと思うし、おそらく100年後や200年後にもイージー・ライダーやグレイトフル・デッドと共に1970年前後のこのシーンの代表として残っている気がする。
下記に3つポポル・ヴーのDaniel Fichelscherの曲のリンクをコピーします。
Deine Liebe Ist Süßer Als Wein  (あなたの愛はワインのように香しい)



Popol Vuh - Letzte Tage, Letzte Nachte


Popol Vuh - Engel der Gegenwart



その後に、Daniel Fichelscherギター・スタイルからヒントを頂いたAyuoの曲を2曲。Dave Mattacksと演奏した「Sounds of You」。立岩潤三、甲斐史子、佐藤佳子 と演奏した「In The Beginning」。


Ayuo - Sounds Of You

Ayuo - In The Beginning

Popol Vuh - Kyrie

Popol Vuh - Heart of Glass - Werner Herzog movie (1976)


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